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                                  2016年8月23日
世界支配構造に異常あり
 ――崩壊直前の「世界管理システム」――


2016年は、近現代史の中で最も激動した年といえる。ヨーロッパではテロの嵐が吹き荒れ、英国がEUから離脱。中東では崩壊するIS(イスラム国)が断末魔の叫びをあげ、トルコ、イランあげくにイスラエルまでがロシアに接近。米国の威信は地に墜ち、中国経済の減速が如実になり、近づく世界金融市場崩壊。これまで世界を構築してきたシステムが壊れ、新しい世界に生まれ変わろうとしている2016年。これから何が起きるのだろうか。

エルドアンの強権政治でロシアに接近するトルコ

7月15日にトルコ軍の一部がクーデターを起こしたが失敗。16日正午にはエルドアン大統領が「クーデターは失敗に終わった」と宣言した。トルコは過去に3度、1960年、1971年、1980年にクーデターを起こしている。
現在のトルコ共和国は1923年にケマル・アタチュルクが「政教分離」の大原則を掲げて建国した国である。イスラム教を政治から排除することは建国以来の国是で、トルコ憲法にもそれが明記されている。だが2002年にAKP(トルコ公正発展党)政権が誕生したところで様子が変わってしまった。イスラム保守派を自認するAKPエルドアン(当時首相)は軍の力を弱める作業に着手。軍は、このままでは政教分離の大原則が壊れ、政党政治が混乱し経済が長期低迷に陥ると判断し、実力行使に踏み切る可能性はじゅうぶん考えられる状態にあった。
そうしたなか、2014年には直接選挙によりエルドアンは大統領に就任。対立する軍幹部を追放し、トルコを完全に掌握したとみられた。そんな状況下で、今回の軍によるクーデター失敗事件が起きたのだった。
今回の失敗に終わったクーデターを背後から操るのはギュレン(トルコ市民運動の指導者、米国に亡命中。75歳)だとエルドアンは主張。米国にギュレンを引き渡すように迫った。米国がエルドアンの要求に応じるはずはなく、この結果、米国とトルコの関係が悪化。そうした状況下の8月9日にエルドアンはロシアを訪問。プーチンとの会談で両者はがっちりと握手を交わすことになった。

昨秋11月にシリアのアルカイダ軍を空爆中のロシア軍機がトルコ軍に撃墜されるという事件が起き、それ以来トルコとロシアの関係は悪化していた。だが最近になって、このロシア機撃墜はトルコが単独でやったものではなく、米軍やサウジ軍が早期警戒管制機(AWACS)を飛ばして共同作業として行ったことが暴露され、トルコとロシアの関係修復の芽が生まれつつあった。そこにクーデター未遂事件、そして米国が首謀者ギュレンを渡さないという事態が発生したのだ。この結果、トルコは一気に米国から距離を置くようになり、ロシアに急接近する。もともとプーチンとエルドアンは仲が良かったため、関係修復は決まれば早い。
国際情報通の中には、今回のトルコのクーデター失敗事件は、エルドアンが描いた偽旗作戦ではないかとの説がある。クーデターとギュレンは無関係とする見方も強い。偽旗作戦かどうかは誰にも判断できないが、結果から見れば、クーデター未遂でエルドアンはいよいよ独裁権力を掌中に収めたことになる。
エルドアン独裁が強まる中、トルコは国家の舵をこれまでとは逆方向に切り始めた。これまでトルコはIS(イスラム国)を支援し、ISの石油を買い、ISに武器兵器そして兵士を補給してきた。(ISを作り育ててきたのは米「軍産複合体」に代表される英国・米国の戦争愛好家たち。)
そんなトルコが、ロシアと組んでIS叩きに回ることになった。沈没するISとは付き合いを止めるどころか、敵にしてしまおうというわけだ。トルコ(エルドアン)の頭の中にはIS掃討後のクルドとの駆け引きがあると思われる。

ますます磨きがかかるプーチン外交

トルコがロシアに急接近したことは、ISの終焉がいよいよ間近に迫ったことを意味する。同時に、ロシアにとって喜ばしい出来事として、NATO軍の南の守りの一角が崩れたことにも注目すべきである。これまでトルコは、欧米と組んだロシアの敵だった。それが米国を敵に回し、ロシアと組むのだ。これはロシアにとっては非常に大きい収穫であった。
ISが壊滅すればシリアの再建が始まる。シリアのアサドとプーチンは密接な関係にある。経済制裁が解除されたイランもロシアと緊密で、そこにトルコが加わった。既にイスラエルも親米から親露に方向転換をしている。まもなく、中東問題の鍵はロシアが掌握するようになる。

そのロシアでは、プーチンが有力側近を次つぎとクビにしている。
ロシアでは2018年に大統領選が予定されているが、どうやらプーチンはその大統領選に勝利し、長期政権を敷くつもりのようだ。それどころか、大統領選に立候補しそうな人物を排除し、大統領選なしで独裁権力を掌中に入れる腹づもりがあるようにも思える。
8月12日にはプーチンの盟友ともいわれる大統領府セルゲイ・イワノフ長官(63歳)をクビにしたが、このニュースは世界中に報道され、かなりの衝撃となった。イワノフ長官はプーチンと同じKGB出身で、20歳代の頃からプーチンと親しく、国防相や第一副首相も務め、次期大統領候補ともいわれていた人物だ。プーチンがこの1年間にクビにした大物を並べてみると、以下のようになる。

ウラジーミル・ヤクーニン(68歳) ロシア鉄道社長 2015年8月
ビクトル・イワノフ(66歳) 連邦麻薬取締局長官 2016年4月
エフゲニー・ムロフ(70歳) 連邦警護局長官 2016年5月
アンドレイ・ベリヤニノフ(59歳) 連邦税関局長官 2016年7月
セルゲイ・イワノフ(63歳)  大統領府長官 2016年8月

彼らは大統領選に立候補しても不思議ではない実力者で、しかもプーチンと不仲なのではなく、プーチン支持派、支援派とみなされてきた人々である。彼らの後釜となったのは、新大統領府アントン・ワイノ(44歳)長官に見られるように、皆40歳代かせいぜい50代前半の若手である。
プーチンが目指しているのは長期独裁政権である。
米国が世界権力NO.1の座から転がり落ちる日は近い。欧州がEU維持に四苦八苦し、ロシアにすり寄ってくることは誰の目にも明らかだ。その後にくるのはBRICSを中心とした多極時代であり、その最大勢力は中露である。プーチンは5年後、10年後の世界政治を見据えて独裁政権構築に着手したと見ていいだろう。

完全独裁政権構築か、追放か

中国共産党は今年7月1日に北京の人民大会堂で創立95周年の記念式典を開いたが、習近平総書記はここで「創立100周年の2021年までに、依然として残る貧困問題を解決し、中国全体が『小康(ややゆとりのある)社会』を実現する」と演説し「共産党があってこそ、中国は救われ、発展できる」と結んだ。江沢民、胡錦濤と同様に10年の任期を全うするとなると、習近平の任期は2023年まで。「中国共産党創立100周年」は習近平国家主席が中心となって祝賀する大会となる。
2021年といえば東京オリンピックの翌年。あと5年先だが、波風なく習近平がそのまま総書記、国家主席の座に就いていると予想できる。しかし現実には現在、中国共産党内部はかなり厳しい状況にある。

今年6月15日に習近平は63歳の誕生日を迎えた。普通だったら、政府や共産党の主要メンバーが全員でお祝いすると思われる。ところが誕生日2日前の共産党機関紙『人民日報』にとんでもない記事が載ったのだ。おそらく習近平は真っ青になったか、あるいは激怒して真っ赤になったことだろう。
その記事とは――。

「 トップ(一把手)であるには、自分が握っている舵の限度をよくわきまえねばならない。何が可能で何が不可能なのかということだ。
あるトップは、自分がナンバー1だと勘違いして、職場を自分の『領地』に見立てて、公権を私権に変えて、やりたい放題だ。自分の話を誇大妄想的に政策にしていき、職場を針も通さない、水も漏らさない独立王国に変えていく。
このような唯我独尊的な権力の保持は、大変危険であり、往々にしてそのようなトップは『哀れな末期』を迎えるものだ」

こんな調子で記事は延々と続く。名指しはしていないものの、これが習近平に対する批判であることは、世界中の誰もが理解した。
原稿を書いたのは中国NO.2の李克強首相である。太子党の習近平と共青団の李克強は、ほんらい真正面から激突するライバルである。水と油の関係、犬猿の仲。どう表現しても同じだが、とにかく最悪の関係のはずだった。ところが習近平体制が固まった4年前から、なぜか李克強は習近平に対し「忠誠を誓うイエスマン」になりきっていた。「弱みを握られているのに違いない」と陰口を叩かれたが、李克強の口から習近平批判は一切出なかった。それが今年になって噴出し始めたのだ。そして習近平はその李克強に反論も反撃もしていない。

「蠅も虎も叩く」というスローガンの下、習近平は就任以来ずっと腐敗追放運動を展開してきた。その間、薄熙来を初めとする共産党幹部、周永康などの軍人、国営企業幹部、村長、町長など膨大な数の人々を処刑し、追放し、投獄してきた。その膨大な数の人々、家族親族たちの怨念たるや、計り知れないものがある。習近平暗殺未遂事件がいくつもネット上を賑わしているが、どれも真実の可能性が高い。
来年2017年秋には中国共産党第19回全国代表者大会が開かれる。5年に一度のこの大会で、通常であれば習近平が2期目の総書記・国家主席に選ばれる。だが6月に李克強が『人民日報』に上げた記事を見る限り、波乱が起きる可能性もある。
現在、中国共産党の構成は「7名+25名」の政治局と、「7名」の書記処から成立している。
政治局の7名とは習近平を含めた7名の中央政治局常務委員で、その下に25名の中央政治局員がいる。ところがこの7名のうち、習近平と李克強の2人以外は来秋には定年退職してしまう。そこで通常の場合、下の中央政治局員から何人かを上げるのだが、習近平体制を維持できるかどうか不明である。というのは、現在の常務委員7名は「太子党3名・共青団3名・江沢民派2名」で、太子党が江沢民派(上海幇)を取り込んで習近平体制を築いている。しかしその下の25名の主力は共青団で、次の常務委員の過半数を共青団がとる可能性が高い。そうなると、追放、投獄された旧実力者の怨念が一気に習近平を潰しにかかるだろう。この状況を突破する方法は、好条件をちらつかせて連立(野合)するなどいくつか考えられるが、どうやら習近平はもっと確実な手段を考えているようだ。それは政治局常務委員会の廃止あるいは極端な規模縮小である。
政治局常務委員会は戦前の1928年に登場し現在に至るが、過去には2人のこともあった。毛沢東と林彪、あるいは毛沢東と周恩来、また華国鋒と葉剣英などがそれだ。あるいは短期間ではあるが政治局が職務を停止し、毛沢東など5名の主席団が全権を掌握したこともあった。習近平が狙っているのは、こうした独裁体制なのだ。それが成立する可能性は非常に高いと見ていいだろう。

足下が揺れる欧州は王家復活を夢想する

国王を戴く絶対王政の国サウジアラビアが揺れている。
サウジアラビアとは「サウード家のアラビア」という意味で、サウード王族3万人が支配する国家であり、世界一の原油埋蔵量を誇る。国営石油会社のサウジアラムコは原油保有量、原油生産量、輸出量のどれもが世界最大で、しかもサウジの国家収入の9割を占めている。そのサウジで、国王継承問題を背後に抱えながら、ナイーフ皇太子(57歳)とサルマン副皇太子(31歳)が権力闘争を繰り広げている。
ナイーフ皇太子は副首相兼内相で、国内治安の最高責任者でもあり、米国と密接な関係を持ち、欧州の旧い王族とも深い付き合いをしている。米国留学経験もあり、米国には強い人脈を豊富に持ち、米CIAや軍産複合体と近く、次期国王第一候補だ。
いっぽうサルマン副皇太子は第二副首相兼国防相だが、同時にサウジアラムコを所有する評議会の議長として、サウジの財政を完全に掌握する立場にある。ナイーフが勝つかサルマンが勝つかは、親米派が勝つか嫌米派が勝つかといった面と同時に、中東一帯の王族の方向性を決定する影響力を持つ。
そのサウジ王族が勢力を二分する争闘を繰り広げている。ナイーフ、サルマンのどちらかが失脚あるいは死亡(暗殺)されない限り争闘は続くが、ネット上の情報を見る限り年内にも決着がつくだろうといわれる。

サウジを初めとする中東・湾岸諸国の王族が変質を始めているが、この原因はイスラム圏の混乱にあり、IS(イスラム国)が壊滅状態にあり、トルコやイランが親露方向に舵を切っていることが影響している。ざっくり言ってしまえば米国の弱体化が根本原因だ。
こうした潮流がヨーロッパ王室に及んでいる。これまで死に体のようになっていたヨーロッパの旧い王家が、息を吹き返したかのように、表舞台に顔を見せている。それは大きな意味で米国の没落が原因であり、米英を中心とする世界金融市場に対する不信感が原因ともいえる。第二次大戦後、七つの海を支配していた大英帝国に代わり米国が世界の覇権を握った。その覇権が米国の手から転がり落ち、中露中心のBRICSへ移行する可能性が高いが、金融市場崩壊の後に欧州王家が救世主となって世界を纏めるという根拠の無い観測が欧州各国に流布されているらしい。
「歴史は繰り返す」というが、じつは繰り返さない。歴史が「後戻り」することはない。欧州の王家が復興して再度君臨することはあり得ない。問題はそうした「風説」が、たぶん意図的に流されていることだ。それは欧州がこれまでの「親米」という原則から「親露」へ切り替えるための口実作りなのかもしれない。

欧州王家の中で注目を集めているのはホーエンツォレルン家とハプスブルク(ロートリンゲン)家で、それぞれ優れた系譜を持っている。
ホーエンツォレルン家とは旧ドイツ帝国の帝位とプロイセン王国(ともに1918年に消滅)の王位継承者一族。現在のホーエンツォレルン家家長はゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン(1976年6月~)。プロイセン王家の子孫であり、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の玄孫。
ハプスブルク(ロートリンゲン)家とは、神聖ローマ皇帝位を継承し、オーストリアを本拠として広大な領土を有したハプスブルク王朝(1918年に消滅)を築いた一族の末裔。現在のハプスブルク(ロートリンゲン)家家長はカール・ハプスブルク・ロートリンゲン(1961年1月~)。元オーストリア皇太子オットー・フォン・ハブスブルグの長男で、母はザクセン・マイニンゲン公家の公女レギーナである。
この流れに関係するのだろうか、あるいは欧州が親露に傾く表れなのか、ロシアのロマノフ王家の血を最も強く継承しているマイケル・オブ・ケント王子(1942年7月~。英エリザベス女王の従兄弟)をロシア皇帝(ツァーリ)に招聘するとの根も葉もない噂も流れている。ここにはさらに、「ロスチャイルド家がケント王子を支持している」との怪説も付いて回っているという。
これらは単なる噂であり、根拠はない。これまで世界を支配してきた構図が激変することを何となく理解した烏合の衆が勝手な予測を立て、流布しているだけのことだ。わかっていることは世界がまもなく激変するということだけだ。決してそうした流れに乗った訳ではないが、わが国の天皇陛下が「生前退位」についてお気持ちを公表された。

天皇陛下生前退位の激震

7月13日にNHKが「天皇陛下が生前退位の意向を宮内庁関係者に示されていた」と報道、直ちにこれを朝日新聞が後追い報道して日本中に激震が走った。直後に政府、宮内庁はこれを否定。「生前退位には皇室典範の改正が必要である」として、生前退位を報道したNHKに「独断」として不快感を露わにした。しかし陛下自らが生前退位のご意向をもたれていたことは事実である。常識的に考えて、その事実は宮内庁や政府は重々知っていたはずだ。だが皇室典範改正となると、陛下が政治に口を挟んだと受け取られかねない。そこで政府はNHKを通じて国民にご意向を知らしめ、世論の動向を見極めたうえで、8月8日の天皇陛下御自らの「お気持ち表明」に至ったと考えられる。
NHK報道の1週間後となる7月21日には皇太子殿下がご一家で奈良県橿原市にある神武天皇御稜をご参拝された。皇位継承の準備は万端であるとのアピールとも受け取れる。じつは今年4月に神武天皇没後2600年祭が御陵と皇居で同時に執り行われており、御陵には天皇皇后両陛下が、皇居では皇太子殿下ご夫妻が祭祀を行われた。雅子様の宮中祭祀ご出席は7年ぶりのことで、天皇陛下の強い要請があったと推測されていた。

8月8日、リオデジャネイロ五輪開会直後に天皇陛下がテレビにビデオ出演されお言葉をお話しになられたことはご存じの通りである。
菅官房長官はこの問題について、「天皇陛下のご高齢、ご公務の負担の問題や、憲法にしっかり謳われていることも踏まえ、どのようなことができるのか、その実現のためにはどういう手法が必要なのか、整理している」と語り、さらに「安倍総理からの指示として有識者会議の設置も1つの考え方。そこで何ができるかということをしっかり対応していく」と語っている(8月21日)。
陛下のお言葉の最重要点は、最後に纏められた点にある。
「(現行の)憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたびわが国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています」
天皇陛下は最後にテレビを観ている国民に向かって頭を下げられた。陛下に頭を下げられた国民の一人として、これは真正面から真剣に解決を求める必要がある。陛下は何をお求めなのか。
現行憲法の象徴天皇であるならば、天皇の公務がこれほど膨大に存在して当然なのか。
わが国の歴史から考えて、象徴天皇のままで良いのか。
中途半端な象徴天皇を71年間放っておいた責任は国民ひとり一人にあるのではないのか。
世界が激変しつつある今日、わが国も変わらざるを得ない状況に立たされている。天皇陛下の今のお立場は、日本国を象徴しているように思える。



          



                                 2016年3月7日
日本×北朝鮮分断を狙う世界勢力
――安倍晋三を辞任に追い込む奇妙なウラ情報――


北朝鮮の核実験(1月6日)、ミサイル発射(2月7日)に対し日本政府は、北朝鮮国籍者の入国禁止や北朝鮮向けの支払い原則禁止、北朝鮮籍船舶入港禁止など日本独自の厳しい制裁を課した。韓国も開城工業団地からの撤退を始めとする厳しい制裁を行っている。北朝鮮制裁を巡って駆け引きを展開した米中露だったが、最終的に「ヒト・モノ・カネの流れ」を大幅に制限する、前例のない厳しい制裁案が国連安保理で採択された(3月3日)。これに対し翌4日に日本海に向けて数発のミサイルを発射するなど、北朝鮮の態度に揺るぎはなく、「核をいつでも使える状態にしておく」などと強烈なメッセージを送っている。
日本の隣国でありながら、日本は北朝鮮のことを知らない。北朝鮮に興味を持たない国として日本は世界有数だろう。それは意図的に作られた国際環境と考えられる。なぜ日本人は北朝鮮を知ろうとしないのだろうか。

北のミサイル技術はどこからもたらされたか

北朝鮮はこれまで4回の核実験を行っている。金正日(キムジョンイル)総書記時代の2006年と2009年、そして金正恩(キムジョンウン)第一書記時代となった2013年と今回2016年の4回である。ミサイル発射実験は1993年5月以降、何度も行われている。とくに記憶に残るのは1998年8月に日本列島を飛び越えて太平洋アラスカ沖に到達したミサイル、そして2009年4月に同じ方向に打ち上げられた人工衛星「銀河2号」だろう。この自称人工衛星は失敗に終わっている(北朝鮮は成功したと強弁)。その後、金正恩体制になって間もない2012年4月に「光明星3号」を南方向(韓国・フィリピン方向)に打ち上げ、これも失敗。しかし同年12月、金正恩第一書記が陣頭指揮をとった「光明星3号(改良型)」は見事に成功させている。

今年(2016年)2月7日に打ち上げられたミサイルは2012年の2回と同様に南方向(韓国、フィリピン方向)に発射され、一旦は軌道上に乗ったものの、その後回転を始め衛星としては機能していないと見られている。人工衛星の成功とは言い難いが、大陸間弾道弾としては大成功と言えるだろう。大気圏再突入時の耐性にも問題なく、命中精度も格段に上がっており、米本土東海岸までを射程圏に捉えており、それは米国も熟知している。
発射の模様は複数方向からの映像が朝鮮中央テレビを通して全世界に流され、日本の防衛省は解析を行ったが、世界中の機関がさまざまな分析をしたことだろう。北朝鮮としてはすべてを堂々と公開したことで、その能力を正確に判断してほしいと考えたと思われる。

北朝鮮のミサイル技術に関し、北当局は「共和国(北朝鮮)オリジナルのもの」と主張しているが、一般には旧ソ連のスカッドミサイルを改良したものと考えられている。

旧ソ連が北朝鮮にスカッドを渡した事実はない。エジプト経由で渡ったものと推測できる。第四次中東戦争(1973年秋)でエジプト・シリア軍(アラブ共和国軍)がイスラエルと戦った。この戦争は史上初めて両軍のミサイルが実戦で使用されたものとして知られる。戦争では北朝鮮空軍がアラブ共和国側に加担し、イスラエル軍機を多数撃墜している。北朝鮮空軍パイロットの勇猛果敢さとその戦績を絶賛したエジプトのサダト大統領がソ連から入手したスカッドを譲ったのではないかと思われる。(イスラエルが意図的に北朝鮮にスカッドを渡したとの異説もある。)

細部はともかく、北朝鮮のミサイル技術は旧ソ連のスカッドを基本に、独自の改良を重ねて今日の完成度まで高めたと考えていい。しかしミサイルはロケット技術だけではない。誘導システムが重要である。
北朝鮮のミサイルは「プログラム誘導方式」を採る。この誘導法はさらに、慣性航法、人工衛星航法(GPS補正法)、地形照合(テルコム)法などに分類される。北朝鮮はGPSを駆使して誘導していると考えられるが、中国は協力していない。考えられるのは唯一ロシアが協力していることだ。これに関してロシアはひとことも発言していない。脱北した北朝鮮の科学者が「ロシアの軍事衛星を利用している」と証言していることも併せ、北朝鮮ミサイル技術が旧ソ連、ロシアの援護で生まれたことは間違いない。問題は「核開発」である。北朝鮮の核開発に日本が大きく関わっている可能性があるのだ。

「ニ号計画」と「F計画」

今年(2016年)1月6日に行われた北朝鮮の核実験が水爆だったのか、原爆だったのか、あるいはその中間のブースト爆弾だったのか、意見が分かれるところだが、その議論に意味はない。水爆(核融合爆弾)の定義すらあやふやなものなのだから、原爆だったか水爆だったかを議論しても始まらない。ミサイル同様、北朝鮮の核技術がどこからもたらされたものなのか。そちらのほうが重大である。

北の核技術はパキスタンのカーン博士からもたらされたという説がある。完全否定はできないが、その可能性は低い。旧ソ連解体の際にウクライナから流れたと考えるべきだろう。

ソ連は1990年にバルト3国が独立、1991年12月に共産党が解体されて連邦を構成していた共和国がそれぞれ独立。12月25日にソ連が完全に解体した。このときウクライナもソ連から独立した。

ウクライナは旧ソ連時代には「核兵器工場」と呼ばれ、ソ連の優秀な核科学者、核技術者が結集した地域で、核兵器もここにストックされていた。ソ連解体と同時に、ほんらいはロシアに戻り、あるいはそれぞれの出身共和国に戻るべき科学者、技術者たちの多くが、カネで引き抜かれ北朝鮮に渡ったのだ。北朝鮮最初の核実験はソ連解体15年後の2006年10月に行われたが、これはウクライナにいた旧ソ連の科学者や技術者の叡智の結晶と見るべきだろう。

しかしもう一つ頭に入れておくべきことがある。
北朝鮮の核兵器研究は第二次大戦後すぐに始められ、朝鮮戦争(1950年)後に加速されたことだ。そこには日本出身の科学者たちが関与している。

大東亜戦争中に日本陸軍は仁科(にしな)芳雄博士の下で「ニ号計画」という原爆開発を行っていた。これと並行して海軍も独自に「F計画」という原爆研究を進めていた。海軍の研究は京大の荒勝文策、湯川秀樹両博士が中心だった。「ニ号計画」「F計画」どちらも大勢の科学者が動員されたが、陸軍は東大(東京帝大)、海軍は京大(京都帝大)の学者、研究者が主流だった。仁科、荒勝、湯川の下には東大、京大で働いていた優秀な朝鮮人(当時の国籍は日本人)がいた。この朝鮮人の多くは終戦後日本に残ったが、朝鮮戦争後の「祖国復帰運動」の際に北朝鮮に戻ったり渡ったりして、北朝鮮の核開発に携わった。

さらに李升基(リスンギ1996年没)博士のことも忘れてはならない。李博士は京大を卒業後、京大助教授となり、昭和14年には世界で2番目の化学合成繊維となるビニロンを発明した人物。戦後韓国に帰りソウル大学長を務めていたが、1950年の朝鮮戦争の折りに北朝鮮に拉致され(北朝鮮発表では「自ら進んで北朝鮮に亡命」)、寧辺原子力研究所の初代所長となった人物。1964年(昭和39年)に建設された寧辺原子力研究所こそ北朝鮮核開発の原点となったものだ。

北朝鮮核開発の基礎を築いたのは、東大、京大で原爆研究を行っていた朝鮮人だった。その研究は当然ながら日本流、日本方式だった。ちなみに原爆研究に関して、旧日本軍はかなり早い時点で完成直前まで漕ぎつけていたが、原材料のウランを入手できず米国に先を越されてしまった。ニ号計画、F計画に従事していた多数の科学者たちにとっては痛恨の極みだったろう。

大日本帝国の残置国家・北朝鮮

「北朝鮮は大日本帝国の残置国家である」というと、眉つば陰謀論のように思われるだろう。だが日本と北朝鮮との間に横たわる闇は奇妙奇天烈で、冷静に見る限り北朝鮮は間違いなく大日本帝国の残置国家である。核開発の経緯を見ても、それが理解できる。あるいは今日なお北朝鮮の電力を賄っている水豊ダムを見てもそれが理解できるだろう。水豊ダムとは中朝国境にあるダムで、昭和12年(1937年)に日本の資金と技術によって建設が始められ、戦時中の昭和19年に完成。その当時世界最大の発電量を誇り、その後ほとんど改修工事などは行われずに現在も北朝鮮の電力を生み出している。ダムや発電所だけではない。北朝鮮の生産現場のあり方、工場の設備に始まり、国家組織の形態、指令、命令伝達の手法、教育……。どの部分を取り出しても北朝鮮は大日本帝国が作った組織の延長上にある。そうした意味で北朝鮮は大日本帝国の残置国家なのだが、ここに真実か嘘か不明の尾ヒレが山のように付いてくる。

大東亜戦争終戦後の3年間はソ連が北朝鮮を占領していた。北朝鮮は1948年9月に、ソ連が後押しした金日成(キムイルソン)によって独立を果たしたのだが、その金日成の過去に疑念が噴出し始めた1950年6月、朝鮮戦争が勃発する。これにより北朝鮮は金日成の下で一致団結する国家体制を構築した。その後、金日成の過去に触れようとした者やソ連との関係を重視しようとした大物は軒並み粛清され、「建国の英雄」金日成だけが表面に出る国家となった。ソ連と袂を分かった北朝鮮の誕生である。
この金日成を陰から支えた金策(キムチャク)という人物がいた。今日なお製鉄所、大学、市の名として残る金策という人間は、本名を畑中理といい、大日本帝国陸軍が放った工作員だとする説がある。にわかには信じがたいが、この説を裏付ける情報が大量に存在する。さらに、金日成の子として北朝鮮を率いた金正日総書記が金策の子だという話もあるのだ。笑い飛ばしたくなる話だが、この説を主張する一人が自衛隊で情報を扱ってきた元空将で、その情報源、分析等を見る限り、否定することは難しい(『金正日は日本人だった』佐藤守著・講談社刊)。
もっと強烈な噂話もある。金正恩の母は横田めぐみさんだというものだ。ここまでくると流石にバカバカしくなってくる。しかし、こうした一連の物語が安倍晋三首相の足元を脅かしていることも間違いない。核・ミサイル実験に対する制裁に関して、金正恩第一書記は米韓を初め敵対する国やその元首を徹底的に批判しているが、なぜか安倍晋三に対しては攻撃をしていない。金正恩は安倍の悪口を言わない。

安倍首相辞任という「あり得ない噂話」

第一次安倍内閣時代の平成19年(2007年)9月に国会の所信表明で「職責を全うする」と強い決意を述べた安倍晋三が、そのわずか3日後に胃腸機能の異常を理由に辞任を表明したことはご存じの通り。一般には安倍の病気は潰瘍性大腸炎だとされている。
平成24年(2012年)12月に首相に再就任した直後から、安倍の健康状態に対する疑念や噂話は後を絶たなかった。潰瘍性大腸炎の場合、精神的なストレスで病状が一気に悪化する可能性は捨てきれず、「安倍はまたぞろ途中で首相の座を放り出すだろう」という話になる。じっさい第二次安倍政権誕生以降、「安倍が間もなく辞任表明」といった憶測記事を載せる週刊誌等がいくつもあった。いったんは鎮静化したそんな話題が、昨年末から、また浮上し始めている。ネット情報の中には「安倍は進行性膵臓ガン」などというものまで出現している。ちなみにガンは進行性の病気であり、ことさら「進行性」と付けるところが既にデタラメ怪情報なのだが。
大腸炎やガンといった病気だけではない。安倍が美人タレントのBと不倫関係にありそれを隠すためにBと別な男との不倫が作り上げられたといった話すらある。2月に訪露したキッシンジャーがプーチンとの会談で安倍引退に合意したといった説もあるという。キッシンジャーやプーチンが日本の首相の動向に口を挟むことなど常識的にあり得ない。

病気に始まって不倫スキャンダルに至る情報を全国紙の政治部記者に話したところ、鼻で笑われてしまった。
「病気のことは真実は不明ですが、ガンという話は初めて聞きました。不倫にしろキッシンジャーの話にしろ、そんな情報をネット上に載せるのは自由ですが、どんどん信用を失くして見向きもされなくなるでしょう」
甘利経済再生相の辞任、島尻沖縄北方担当相が「歯舞」を読めず失笑を買い、丸川環境相は被爆線量目標を「根拠なし」、そして丸山参院議員の「奴隷」発言、さらには育休をとった宮崎参院議員の不倫騒動と、ほんらいなら内閣に打撃を与える事件が次々と起きたが、安倍晋三の支持率にはまったく翳りが見られない。時事通信社の世論調査でも2月の安倍内閣の支持率は46.4%で5カ月連続の上昇となっている。
「政局という話題はまったくありません。だいたい、ポスト安倍の候補がいない。石破、麻生、谷垣あたりが動いているなんて話はまったくありません。この3人以外に安倍の後釜を狙う人間は考えにくい。せいぜい二階、菅、岸田あたりでしょうが、いずれも総理の器ではない。閣僚経験もない小泉進次郎は早くても次の次」(前出全国紙記者)
ウラ情報の中には、伊勢志摩サミットを花道として、夏の参院選(衆参同時選の可能性あり)後に安倍が退陣するという話もある。
「政治の世界の話ですから、絶対という話はない。たしかに米国の一部には、安倍の過激なナショナリズムを嫌う雰囲気はあります。だからといって安倍が辞任することはない。民主と維新が3月末に新党を立ち上げますが、これが自民党を脅かす勢力になることは考えられない。多少のスキャンダルが発覚しても、今の国民が政権交代を望むことはないでしょう。北朝鮮問題が安倍の足元を掬うという話も考えにくい」(同上記者)
しかし、その北朝鮮問題が安倍の行く手を遮る壁になる可能性が高まっているのだ。

発動された「作戦行動計画5015」

3月7日(月)から米韓合同軍事演習が始まる。
この演習には沖縄に駐留している第3機動遠征軍4500人を初めとする米軍(海兵隊主力)7000人以上、韓国軍3000人以上、合計1万1000人にも上る兵員が投入される。強襲揚陸艦ボノム・リシャール、揚陸艦ニューオーリンズ、輸送ヘリ・オスプレイだけではなく、爆弾そのものを内蔵し完全にレーダーに映らないF22ラプター戦闘機も加わる。
軍事演習の規模は史上最大のもので、それだけで北朝鮮をじゅうぶん刺激しているが、何より今回の演習で「作戦行動計画5015」が採用されているところが重大である。

米軍の作戦コードの頭に付いている「50」は朝鮮半島という地域を意味する。これまで朝鮮半島では「5027」という作戦行動計画が採られていた。「5027」とは北朝鮮軍の南進(韓国への侵攻)への対応作戦である。ところが今年は、数年前に作られた「5015」が採用されるのだ。では「5015」とは何か。「核承認者を排除する計画」である。核爆弾のスイッチほ押せる権利のある者を抹殺する計画――ひとことで言えば金正恩暗殺計画である。

今回の軍事演習では「核施設に対する攻撃」「核施設の破壊」が表面に出されている。しかし米軍内では金正恩暗殺に向けての計画が真剣に練られ、またその事実を北朝鮮側が把握しているところに注目すべきだ。これまで「コード15=暗殺作戦」は、ビン・ラディンや聖戦士(ジハーディ)ジョンで使用され成功している。イラクの故フセイン大統領のときには暗殺作戦は成功せず、最終的にイラク戦争で片をつけた。これまで暗殺作戦は、終了してから初めて表に出たが、実行前にその作戦が明らかにされることはなかった。当たり前の話で、狙う相手に「あなたを暗殺しようと考えています」と教えることなど普通に考えてあり得ない。それなのに今回、米軍は「作戦計画5015発動」を公表している。ここには何らかの意味があるはずだ。

いっぽう北朝鮮の金正恩第一書記の動きはどうだろうか。
国連決議に反応して金正恩が「核をいつでも使える状態にしておく」と発言したと報道されているが、この発言は明確に米韓に対する圧力である。米韓軍が本気で北に侵攻し、核施設破壊や第一書記暗殺を視野に入れた行動をとれば直ちに核攻撃するという意味だ。
その金正恩は、核実験、ミサイル実験が成功裏に終わる度にテレビに登場し、また父・金正日の誕生日(2月16日)を初め軍視察、工場視察などひんぱんにその姿を見せている。3月4日のミサイル発射の際の陣頭指揮の模様も公表されているが、それらはすべて合成写真だという。それも高度なテクニックを使った合成ではなく、専門家が見ればひと目で合成だとわかるものなのだ。
米軍の暗殺計画は既に実行段階に移されている可能性もある。米軍の発表では、聖戦士ジョンの処刑は無人戦闘機によるものだという(じっさいはIS内の人間に処刑されたとの説が濃厚)。金正恩に対しても無人攻撃機が使われる可能性も排除できない。そのため金正恩は地下深くに潜り、滅多に表には出ないといわれている。平壌の地下には北京を凌ぐ大地下網が構築されており、数年間も籠ることが可能だとされる。

以上が表に出回っている一般情報だが、奇妙なところがあり過ぎる。なぜ米軍は「5015」を公表したのか。なぜ金正恩の映像は粗っぽい合成写真なのか。
考えられることはいくつかある。最大は「米朝が水面下で何らかの協議中」というものだ。

金正恩暗殺作戦のウラに潜む計画

2013年12月に金正恩の叔父である張成沢(チャンソンタク)が処刑された。その理由は金正恩暗殺計画が判明したからである。張成沢はなぜ金正恩を殺そうとしたのか。自分が北朝鮮のトップに立とうとしたのではない。金正恩を亡き者にして、中国に亡命中の金正男(キムジョンナム)を北の頂点に立たせようとしたのだ。

金正男44歳。日本人の多くは「ディズニーランド見物に来た男」と記憶している。東京ディズニーランド見物に来日というのは金正男本人が騙ったウソであり、それを広めた日本政府、そして真相より売るための情報を優先させたマスコミの戯言である。金正男が入管で拘束された平成13年5月には、金正日がミサイル商売を繰り広げていた時期だった。

余談になるが、プーチン大統領の側近中の側近、コンスタンチン・プリコフスキー(ロシア極東連邦管区大統領全権代表)が金正日との会話内容を公開して物議を醸したことがあった。それによると金正日は「ミサイルを作って発射するには2億ドルあるいは最大3億ドルかかる」。そして、「ではなぜ北朝鮮はミサイルを作るのか。儲かるからだ。ミサイルは中東のイラクやシリアなどに1基9億ドルで売れる。すでに何基も売りさばいている」と発言していたことを公開したのだ。

金正男は北朝鮮ミサイルを中東に売るバイヤーだった。そしてそのカネは日本や香港の銀行を経由して北朝鮮に送金されていた。成田空港で捕まったときも、都心の銀行でカネを動かす目的で来日していた。当時、金正日の長男・金正男は父親からも信頼され、北朝鮮の未来の首領と考えられていた人物だったのだ。その後中国で暮らすことになった金正男は、中国政府要人とくに太子党(トップは習近平)の大物政治家と密接な関係にある。
張成沢が金正恩暗殺を企図した理由は、金正恩に換えて金正男を北朝鮮のトップに据えようとしたものだった。その背後に中国政府が関係している可能性は非常に高い。
また昨年12月29日に交通事故死した金養建(キムヤンゴン・統一戦線部長)も同様の計画を実行しようとしていたようだ。(本紙は以前、金養建の死は日韓慰安婦問題解決合意によるとの推測記事を掲載したが、最新の情報では金正恩暗殺計画に関与したと考えられる。)
さらに今年2月初めに処刑された李永吉(リヨンギル・総参謀長)も金正恩暗殺を狙っていたとの情報がある。

もし仮に金正恩が殺されて金正男が北朝鮮のトップに立ったらどうなるだろうか。何がどう変わるか、まったくわからない。しかし、わかることが1つだけある。北朝鮮は完全に中国の属国になるということだ。

それは米国にとって好ましいことではない。
米国にとっては、中国べったりの金正男よりは、乱暴で中国にすら刃向かう金正恩のほうがずっといい。そんな米国がなぜ中国に利する金正恩暗殺計画を実行しようとするのか。「作戦計画5015=金正恩暗殺作戦」を公表したのか。正解は不明だが、ブラフ(はったり)の可能性が高い。その場合の首謀者はオバマ大統領である。

米大統領の任期は最長で2期8年。バラク・オバマはあと10カ月で大統領を終える。米大統領は、当然のことなのかもしれないが、任期終了直前に「歴史に残る大事業」をやろうとすることが多い。オバマにとってそれはキューバとの国交回復と考えられていたが、ここに「朝鮮戦争平和条約締結」「北朝鮮との国交回復」が加われば、さらに光が増す。「5015」の公表も、金正恩の行動も、米朝がウラで何らかの協議中と考えれば理解できる。その水面下の協議がまとまれば、米国大統領オバマが北朝鮮を訪問するという仰天ニュースが見られる可能性もある。
それはどちらかというと期待したい明るい未来像だが、深読みすると逆に暗澹たる未来も出現する。安倍晋三辞任にも繋がる暗い可能性を見ておこう。

日朝国交回復に向けて動く安倍政権

北朝鮮の核、ミサイル実験の後、日本は独自制裁に踏み切った。その直後の2月12日、北朝鮮は拉致調査を全面的に終了し特別調査委員会を解体すると宣言した。日本と北朝鮮の間には冷たい空気が流れ、日朝和解ムードは完全に消し飛んだ。これは米韓中そして世界が待ち望んでいる姿である。そのことを、どれほどの日本人が理解しているだろうか。

日朝国交回復は、「あってはならない出来事」なのだ。
韓国を筆頭に米国、中国は絶対にそれを認めたくない。朝鮮半島統一前に日朝国交回復が実現したら、韓国は立場も何も消滅してしまう。慰安婦どころか、竹島問題も日本海表記問題も吹っ飛んでしまう。米国、中国にしても、日朝国交正常化など絶叫したいほどの恐怖のプログラムなのだ。大東亜戦争で日本を潰した意味すら失われてしまう。地下資源のない日本に資源が渡り、あろうことか日本が核爆弾を抱えてしまう。東アジアの勢力地図は激変し、ロシアだけでなく英仏独伊…欧州全域が巨大な衝撃波に見舞われる。日本が北朝鮮に対して独自制裁を打ち出し、北朝鮮が拉致問題調査終了を宣言したことに、全世界は胸を撫で下ろしたことだろう。その事実を日本人は知らない。知ろうとも、考えようともしていない。

日朝は断絶した。そのように見える。しかし、まだ疑念が残る。
金正恩第一書記登場以来、北朝鮮は東方向にミサイル(人工衛星ロケット)を発射していない。衛星ロケットを東方向に発射することは地球の自転の力を借りることになり、じつに理に叶っている。それなのになぜ北朝鮮はあえて困難な南方向にミサイルを飛ばすのか。日本を刺激しないためとしか考えられない。
そしてなぜ金正恩は安倍晋三の悪口を言わないのか。

平成26年(2014年)5月29日、日本と北朝鮮は「日朝政府間協議」を公表した。いわゆる「ストックホルム合意」である。それは平成14年(2002年)9月に小泉純一郎・金正日との間に交わされた「日朝平壌宣言」に基づいて日朝国交正常化に向けての前進を高らかに謳いあげた合意文書だった。わずか3日間の協議でこれほど見事な合意ができるはずはなく、日朝が長期にわたり水面下で緻密な交渉を繰り広げたことが、このとき初めて明らかになった。それは米韓中のみならず世界中が衝撃を受ける内容だった(日本国内では大した評価はされなかった)。
安倍政権の下、日本の外務省は世界中の目を盗んで北朝鮮と秘密交渉を行っていた!
日朝間の極秘交渉回路は2016年の今日、まだ健在なのではないか。
日朝国交交渉は何としても潰さなければならない。それは全世界の共通認識なのだ。

安倍晋三の膵臓ガン、美人タレントとの不倫話、あり得ない外国要人の合意情報――吹き出したくなるバカバカしい情報の出所を本紙はある程度掴んでいる。その発信源が米国、そして中国だろうとの推測もある。彼らは安倍晋三を「第二の田中角栄」にしたくないのだ。米国の頭を越えて中国と手を結んだ田中角栄は、最終的に米国の罠に沈んだ。安倍晋三が米中韓の頭越しに北朝鮮と手を結ぶことがないよう、先手を打っての安倍潰し作戦が、いま始まろうとしている。本紙はそう推測する。



          



                                2015年9月8日
破壊される「日本の本質」
――じわりと迫る「日本の危機」に、どう対処すべきか――
                                                   

「日本」が攻撃を受けている。明確な攻撃ではない。真綿で首を絞めるような攻撃を受け、日本が壊されつつある。それなのに多くの日本人は攻撃されていることを理解していない。神経を研ぎ澄まし、いま何が起きているか判断し、個人レベルでできる最大限の防御態勢をとる必要がある。

都内で続発するJR不審火

9月5日の午後に東京都国分寺市を走るJR中央線の線路脇にある電柱ワイヤーの部品が焼けているのが見つかった。東京都内のJR施設や線路脇などで7月31日の夜以降、相次いで火災が発生している。警視庁はこのうちの少なくとも6件は事件性が高いと見て捜査をしている。

まず7月31日(金)夜だが、東京都北区の東北線線路で火の手が上がり、現場には焼けた靴下が見つかった。これが事件なのか、警察が調査中である。
その後8月16日(日)の東京都北区の東北線、高崎線などが走る踏切近くのケーブルが燃える事件を皮切りに、8月18日、22日、23日、27日、30日と火災事件が頻発。そのうち数カ所から可燃物が入れられていたと考えられるペットボトルが見つかっている。警察が現在捜査中で、現場では自転車で走り去る不審な人物が目撃されており、そのうちに犯人が捕まる可能性は高い。現在のところ、JRに対する嫌がらせを含め、悪質ないたずら、愉快犯的な犯行との観測が強い。

これらの不審火事件は、JRを利用する庶民にとっては大事件であり、厳罰に処していただきたいが、事件ではなく「事故」と処理されている件が1つある。8月18日に中央線の立川・国立駅間高架下配線から出火したものだ。出火が確認されたのは午後7時40分ころで、鎮火したのは夜10時。その間、信号機や駅設備に電力が供給できなくなり、東京・高尾駅間が夜8時10分まで運転見合わせ。青梅線、拝島線、五日市線、八高線などが軒並み運休。JRから電源供給を受けている西武拝島線も深夜11時半過ぎまで運転がストップした。乗客は駅からバスやタクシーを利用したが、遮断機が下りたままの踏切があったことも重なり、周辺の道路は大渋滞。近隣のホテルは満員で行き場を失った人が右往左往する始末。この界隈が異常なパニックに見舞われる羽目となった。
出火場所は高架下の空き地で1.8mのフェンスに囲まれており、人が立ち入った形跡はない。警察は他の一連の不審火、放火とは無関係と見ているようだ。だがこれがいちばん問題だと思われる。どうして配線から出火したのか。ほんとうに事件性はないのだろうか。

JRの高架下火災が起きてちょうど1週間後の8月25日午後6時半、今度は東急の東横線など3路線が信号機故障で3時間半にわたり電車がストップする騒ぎが起き、乗客が40分間ほど車内に閉じ込められ、36万人が影響を受ける事故が発生した。故障した信号機は田園調布駅の近くのものだが、東急3路線が交差する多摩川駅が機能停止に陥り、大規模な運転停止事故となってしまった。原因は今のところ、信号機を制御するコンピュータの電源が落ちたためと説明されている。これはほんとうに事故であって、事件性はないのだろうか。

立て続けに起きる奇妙な事故

中国の天津にある危険物倉庫で8月12日深夜に大爆発が起き、日本でも大きな話題となった。その衝撃が醒めぬ8月24日未明(午前0時45分)に神奈川県相模原市にある米軍基地内の倉庫で、大爆発と火災が発生した。中国・天津の爆発では危険物が飛散したとの情報が流れたが、相模原市の爆発火災も米軍倉庫だったため、「弾薬に引火する」「放射性物質が飛散する」などといった無責任な情報がインターネット上を駆け巡った。この事故に関しては米軍基地内だったため、調査は一切米軍が行い、原因等に関しては未だ公表はされていない。

米軍相模原基地倉庫爆発火災が発生して半日後の24日午前11時35分ころ、神奈川県川崎市の日鉄住金鋼管川崎製造所で爆発火災が発生した。現場は鋼管製品の製造所で、現在は休止中で建物を解体作業中だったという。羽田空港から1kmの至近距離にあり、黒煙がもうもうと立ち上ったが、飛行機の離着陸には影響は出なかった。日鉄住金鋼管川崎製造所は昨年9月にも爆発火災を起こし、従業員15人が重軽傷を負っている。今回の火災についても消防、警察が調査を行ったが、現在までのところ事件性はないと考えられている。

このような大事故や火災はテレビや新聞、インターネットで公開され、誰もが知ることになるが、目立たないところでの火災や事故は後を絶たない。7月19日には八王子市の圏央道トンネル内で乗用車が燃える事故が発生し、道路が封鎖されたことがあったが、横転したり追突したりといった事故はしょっちゅう起きている。7月10日には首都高環状線日本橋付近でタクシーやトラックが絡む4重衝突事故があり、警視庁の護送車に乗っていた容疑者ら19人が怪我をしている。8月10日には首都高湾岸線川崎付近で追突事故が発生、押し出された自衛官が転落死。同日には首都高環状線でゴミ収集車が横転。高速道路の事故は首都高だけに限ったものではない。北陸道では逆走衝突4人重軽傷(8月16日)、高速ではないが奈良の明日香村では橋の欄干に車が衝突して5人が死亡(8月27日)、東京葛飾区では無免許の高校生の運転で6人が死傷(8月30日)、9月に入って1日には名古屋高速で車6台が絡む事故、そして5日には和歌山県御坊市の踏切で乗用車が電車と衝突し運転していた女性が重体となってしまった。
交通事故は残念ながら毎日どこかで起きており、それを列記するだけで膨大な量となるが、こうした事故の中に奇妙なものがあることも間違いない。高速道路の事故についても前述の中の2件は、事故ではなく事件の可能性が限りなく高い。
 
世界に稀な「強固なインフラ」が脆弱化している

 鉄道、道路、製造所、倉庫……。日本のインフラは世界一頑健なものだった。その日本のインフラが、危うくなっている。事故が多発している。
多発した事故のいくつかは、奇妙であり、原因不明である。これらを「単なる事故」として片づけていいものだろうか。もしこの中に「事故」ではなく「事件」があったとしたら、どうだろうか。「事件」だとすれば、必然として政治的、経済的、文化的恫喝が付いてくる。「さらなる事故を起こしますよ」と脅され、政治的、経済的、文化的に妥協を強制させられた可能性すら出てくる。
国民経済に必要な公共構造物、公共基盤を一般にインフラと呼ぶ。水道、電気、ガス、道路、鉄道などがインフラの代表的なものだが、インフラの広義解釈には文化、伝統も含まれる。そうした広義の意味での日本の伝統的社会基盤が壊れつつある。行政が伝統的基盤を壊している場合すらある。

毎年7月に行われる東京九段、靖国神社の「みたままつり(御霊祭)」。戦後の昭和22年から続けられてきた祭りだが、今年からテキ屋が排除されることになった。祭りに付きものと思われてきた露天商が完全に姿を消したのだ。「みたままつり」68年の歴史で初めて露天商が締め出されてしまった。
靖国神社の「みたままつり」には例年200店余の露天商が並び、夜10時まで営業を続けていた。ところが露天閉店後にも露店の界隈に若者らが集まって酒を飲み、騒ぎが続くと言う。若者らが男女の出会いの場を求めて集まっていたようで、ネット上でも「ナンパ祭り」と揶揄され、近隣の道路にはゴミが散乱し、靖国神社は対処を要請されていたという。
「浴衣姿の若い女の子に、酒を飲んだ若い男がからむシーンも多く、見るに堪えなかった」といった感想がテレビなどで流され、「みたままつり」から露天商が排除されたことを歓迎する意見が圧倒的多数派のように感じられた。ところが実際に靖国の「みたままつり」に足を運んだ多くの一般客からは、「寂しい」「物足りない」「つまらない」の声しか聞かれなかった。記者が訪れた靖国神社周辺では、露天商排除を歓迎する声はほとんど聞こえてこなかった。露天商といえば『フーテンの寅さん』でお馴染みのテキ屋稼業であり、ヤクザと直結する組織、ヤクザの資金稼ぎの一環と見なされている。来年以降、靖国の「みたままつり」がどうなるのか、注目していきたい。

締め付けが厳しいヤクザ世界

こんにち「ヤクザ」と「暴力団」とは同じものと思われている。本来は、ヤクザは暴力団ではなく、露天商(テキ屋)、香具師(路上曲芸師等)、博徒(バクチ打ち)、侠客(弱きを助け強気を挫く侠〈おとこ〉の総評・顔役)などの寄り集まりだった。ヤクザにいわせれば「暴力団」とは「悪徳ヤクザ」のことであって、自分たちとは無縁と主張するだろう。

ヤクザ分析はさておき、平成12年施行の『暴対法(正式名称は「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」)』、さらに平成24年施行の『改正暴対法』により、ヤクザは存続が非常に厳しい状況に追い込まれた。少しでも違法な行為を行えば、すぐに逮捕される。悪事を働かなくても「悪事を働く虞(おそれ)がある」と認定されただけで逮捕されてしまうのだ。その他もろもろ信じられないほど厳しい手枷足枷が付せられ、とにかくヤクザが生きていくには厳しい世の中になってしまった。
ヤクザの活動が制限されたところで、不良中学・高校生などが悪事を働き始めた。
それまでは街に本職の怖いお兄さん(ヤクザ)がいたから、不良中高生は常軌を外す乱暴は働かなかった。不良学生の中には将来ヤクザになろうと考える者もいて、彼らにとってはヤクザのお兄さんは将来の兄貴分、親分になる人間だ。逆らえる訳がない。

ヤクザが表立った活動を止められ、不良少年たちが常軌外れの暴走をし始めて10余年、『改正暴対法』が施行されたころには、不良少年たちは成長し、ヤクザという枠組みから外れて無法を働く大人になっていた。
また、平成10年代初頭に起きたヤクザと外国人暴力団との抗争も、ヤクザを弱体化させた。
日本人ヤクザが武力抗争に敗れたのではない。抗争が起きると警察は両者を拘束する。ところが外国人暴力団は警察では絶対に日本語を話さない。意味不明の言葉を発する外国人に対する取り締まりは甘く、『暴対法』に基づいてヤクザ根絶を目指す警察は、ひたすら日本人ヤクザを取り締まる。外国人暴力団との喧嘩が起れば、日本のヤクザだけが捕まり刑務所に入れられる。外国人暴力団にとって、こんなにラクな戦争はない。かくして日本のヤクザは弱体化の道を辿ったのである。

ヤクザなど根絶すればいい――。ほとんどの庶民は、そう考えている。そのように教育され宣撫されてきている。しかし考えていただきたい。世の中には真っ当に生きられない半端者がいるのだ。どんなに教育し、また更生させようが、生まれついての性(さが)として非合法にしか生きられない者がいる。病的に悪事に憧れる者もいる。こうした道を外しそうな、あるいは道を外してしまった者たちを包み込む「悪の重石」としてヤクザが存在した。
虚ろな目をし虚脱した姿勢で、青少年が5人、10人と町の所々に屯している。以前の言葉で云えばチンピラである。ひと昔ほど前なら一家の兄さん達に引っくくられる犯罪予備軍だ。この者たちが恐ろしく、町の人々は横を向いて通り過ぎる。警察はチンピラ共が犯罪を犯さなければ拘引できない。屯するだけでは取り締まることが出来ない。
ひと昔ほど前といったが、本当だ。日本の都道府県のそれぞれの町には縄張りを持った侠に生きる男達が住み暮らし、警察の手の届かないところで悪さをする連中を誰に頼まれずとも掃除をし、しっかりとその町の秩序を守ったものだ。ヤクザ志望者には、掃除・洗濯・礼儀作法・読み書き・算盤等々、得手・不得手を上の者が選び、いつでも独り立ちできる教育を身に付け、道義・道徳・長幼の序、日本古来よりの人の道を叩きこんだ。
彼らヤクザ志願者は日本人3000年の歩みの中で養い育てた伝統の精神を仁義という心の衣に包んで成長していった。侠に生きる男達は庶民にとって頼もしかった。町に屯する不良連中などいなかった。侠の掟を破るはみだし者には厳しい制裁と破門が待っていた。町は誰にも操られない静かな安息があった。
今は懐かしい祭り囃子の笛や太鼓・屋台が並び、大小の神輿が刺青のお兄さん達に守られながら町中をうねる。町の住人総出の祭であった。お祭りの日を指折ったものである。今は祭を警察が掌握する。 
町の人々は祭が楽しくなくなった。そういえば庶民の心の隙間を埋めていた温もっていたものが、何者か見えない者の手によって抜き取られてしまったような気がしてならない。心が寒々しい。日本の明日が見えないと呟いた人がいた。同感である。

過去にもヤクザ根絶を目指した時代があった

江戸時代の初期に徳川幕府がヤクザ者を根絶しようとしたことがあった。
江戸時代初期といえば、将軍に拝謁できる身分にありながら禄高の少ない旗本たちが旗本奴を名乗り暴れまわった時代だ。これに対する町人のヤクザは町奴と呼ばれる博徒、侠客たち。旗本奴の親分だった水野十郎左衛門の配下が町奴の親分である幡随院長兵衛を風呂場で突き殺すという事件が起き、この一件により水野十郎左衛門は切腹、旗本57人が島流し処分となっている。寛文4年(1664年)、4代将軍家綱の時代の話である。
この事件以降のヤクザ者取り締まりは厳しかったが、旗本奴、町奴に圧力をかけ活動を制限すればするほど、反幕府運動が活発化し、無職素浪人が社会不安を生むようになる。こうした中、幕府は旗本奴を利用して寺子屋や武芸指南塾の開設を図り、そこに浪人も取り込んでいく。火事が多い江戸では町火消しが制度化され(享保5年1720年)、町奴がこれを請け負うようになる。
農村部での農民相手の博打打ちに対して、幕府は当初、「八州廻り(関東八州取締役)」を当て締め上げようとしたが、上州長脇差と呼ばれるご法度の一尺八寸を超える長脇差を手にする国定忠治や大前田英五郎などが活躍する。最終的に八州廻りの役人は、彼らを取り込み、十手を預けて治安維持を任せるようになる。

江戸時代の幕府は、当初こそヤクザ根絶を図ったが、それでは社会不安が増し混乱が広がるばかりだと気づき、侠客、博徒の存在を黙認し、体制下に抱き込み、ときに積極的に利用するようになっていった。
どんな社会にも「はみ出し者」「ハグレ者」が存在する。反社会的で世を破壊する者が存在する。道徳も法律も遵守できない、どうしようもない犯罪者や犯罪者予備軍が存在する。あるいは賢く社会通念はあるが価値観がまったく異なる異能の存在もある。そうした多様な存在を認め、それらが多様な社会を構成し、その多様性の中を縦横無尽に動き回る存在としてヤクザの存在が認められた。日本という国の叡智の結晶がヤクザを文化に取り込んでいった。そのシステムが近年司法により破壊されてしまった。余りにも極端に過ぎないか。彼らによって保たれていた全国の街の治安が根っこの部分から崩壊し、同時に棲み分けながら相互に支援続けた庶民文化も崩壊した。日本が冷えていく。

外国勢力による日本破壊工作が進んでいる

国内最大のヤクザ組織「山口組」が分裂した。
この分裂に関しては、基本的にカネの問題だとする分析が多数になっているが、本当の真相はわからない。一般にはかなり誤解されている面もあるが、最近のヤクザは「みかじめ料」や「恐喝」「場代」などで食っているわけではない。合法的な経済活動やベンチャービジネスにも進出している。
山口組6代目は名古屋に本部を置く「弘道会」出身の司忍(篠田建市)だが、5代目末期時代から名古屋の「弘道会」と本拠地の神戸「山健組」との間に対立があった。それが地位の問題とか不始末を犯したときの処分問題などが絡み、対立が激化していったという見方もある。
『暴対法』『改正暴対法』による警察の締め付けが功を奏したのだとする見方もある。

九州の超強力ヤクザとして全国に名を轟かせていた「工藤会」の離脱者が激増している。工藤会のトップ野村悟総裁が昨年逮捕され、警察による締め付けがますます強化されたことが原因で、組をやめるヤクザ者が増えている。工藤会ではこれまでも毎年数人が足を洗っていたようだが、今年に入って1月から8月までに31人が離脱、組員はついに500人を割り込んだようだ。国内最強と怖れられた組織も、衰退化の一途を辿っている。ちなみに工藤会は元々「対中国人武闘強硬派」として知られるヤクザだった。九州や西日本だけではない。ヤクザの弱体化、分裂騒動は関東にも広がっているという噂が強い。「山口組」は全国組織で、東京の主だった盛り場には「山口組」系列のヤクザがたくさんおり、それが分裂の煽りで抗争事件を起こすとの情報もあり、その情報が関東のヤクザ組織に微妙な圧力を与えて分裂騒動が巻き起こっているとの情報もあるが、正確なことは把握できない。
しかし重要な情報がある。司法による「ヤクザ壊滅」作戦に便乗するかのように、これらの背後に外国の勢力が蠢いているという信頼できる筋からの情報があるのだ。

「日本破壊」を狙う外国勢力

話を冒頭に戻そう。JR東日本管内で不審火事件が続発している。
不審火事件だけではない。事故も続発している。それらの事故の中には、事故ではなく事件かもしれない奇妙なものがある。それが外国勢力によるものの可能性が高まっている。
日本のインフラが狙われていると考えていいだろう。しかもこの攻撃は、攻撃を感じさせないような、じわりじわりと真綿で首を絞めるような地味な工作に終始している。

最近流された興味深い情報がある。インターネット・セキュリティ大手のカスペルスキー社が、ベルリンで開催した国際コンシューマー・エレクトロニクスショーで発表したものだ(9月6日)。
それによると同社は、アイフォンのロック解除やドアの解錠などに使える「体内埋め込みマイクロチップ」を社員の体に埋め込んだという。そのマイクロチップはガラス封止された米粒大のもので、カスペルスキーの社員の手に埋め込まれた。この社員はチップを埋め込まれた状態で、すでに半年間生活している。当初は単に普通のウェアラブル端末と同じだろうと効果に懐疑的だったが、そのうちに社員証を携行したりドアを開けるときに鍵を取り出すといった行為を忘れるようなり、「大きな可能性を感じる」と話した。
将来的には、手のひらを端末にかざすだけで買い物ができたり、駅の自動改札をくぐれるようにするという。心拍や体温などの測定・記録、個人データの暗号化などにも応用できる可能性があると発表されたのだ。

この情報を、どう受け取られるだろうか。多様性を失くし、何ものかに隷属させられ、非人間的、機械的な、ゾッとする未来を見た思いがする人がほとんどだろうが、人によっては「素晴らしい」とか「未来が開けるようだ」と感じるかもしれない。日本を破壊しようとしているのは、こうした連中である。それは東洋的なものとは完全に反する存在である。
そんな敵を相手に、個人はどう対処すれば良いのか。答えは実に簡単である。日本人であることを貫き通す。日本の文化を守り抜く。それだけである。答えとしては簡単だが、貫き守ることは至難の業かもしれない。■






                                  2014年9月9日
キリスト教終焉の日が迫る?
ローマ法王庁を揺さぶる恐怖の福音書


『聖マラキの預言』によるとフランシスコ現法王は「極限の迫害の中で」就任し、「恐るべき審判が人々に下る」時代を生き、ローマ法王は彼の代で終わるという。『聖マラキの預言』とは、ローマ法王庁の終焉を預言する書だが、一説にはキリスト教圏の最後を預言するともいわれ、欧米では広く知られる書だ。ローマ法王庁が今、さまざまな疑惑やスキャンダルに打ちのめされ、喘いでいることは事実だ。そんな折り、キリスト教を根底から引っくり返すような怪奇な福音書が出現した。ほんとうにキリスト教の最後が近づいているのかもしれない。

ローマ法王庁からの「異例の要請」

今年(2014年)7月、ローマ法王庁がトルコ政府に対して奇妙な要請を行った。2012年にトルコの裁判所が所在を明らかにした古代の聖書について、「カトリックの専門家に調査を委ねるべきである」というのだ。ローマ法王庁の要請がインターネット上のニュースとして流され、この奇妙な「古代の聖書」の存在が知れ渡った。

トルコの古代聖書の話は最近に始まったものではなく、30年も前から話題になっていた。今回、法王庁が要請したことで「やはりあの噂はバルナバの福音書に関係していたのか」と納得した人々も多かったらしい。といっても、これはイエス・キリストの伝説、あるいはキリスト教にとって致命傷となる話かもしれないが、一神教とは無縁の世界にいるわれわれには、さほど重要な話だとは思えない。

磔刑から逃れたイエス

トルコに秘匿されていた古代の聖書「バルバナの福音書」とは、いったい何なのか。
「バルナバの福音書」とは、ほんらいトルコとは無縁のもの。公式的には「16世紀に書かれた偽の聖書」だといわれている。

バルバナというのは人の名前である。イエスと行動を共にしたレビ族のユダヤ人だ。キリスト教ではバルナバは70門徒に入る聖人の一人。70門徒とはイエスの直近の弟子「12使徒」の次の位に位置する70人のこと。バルナバの本名はヨセフといい、「バルナバ(慰めの子)」は通り名。「バル」とは「慰め」、「ナバ」とは「子」を意味する。

「バルナバの福音書」、または「バルバナスによる福音書」とは、16世紀ころに出現したもので、イエス・キリストの生涯について書かれた「悪意のあるニセの書」だとされる。少なくともカトリック界では、そう言っている。

当初はスペイン語版、イタリア語版の2種があったようだが、現在では18世紀に写されたイタリア語版写本しか残されていない。

この書によると、磔刑になったのはイエスの弟子の一人で、本人は逃げだして無事に生き延びたという。さらに「イエスは神の子ではない」と記され、イエスは数多い預言者の一人と規定している。三位一体が否定されているのだ。

三位一体――父と子と聖霊が一体であり、イエスは神の子であるという論は、キリスト教の根幹の一つでもある。バルバナの福音書は膨大な量のもので、記述の多くの部分は一般のキリスト教聖書と同じ内容だが、肝心の三位一体に関して、他の聖書と記述が異なっている。この福音書はキリスト教徒が書いたものではなく、イスラム教徒がイスラム教の正統性を主張するために捏造したとの説が強い。
現存するイタリア語版は本文の周囲が赤く塗られている。これはイスラム教のコーランの仕様。バルナバの福音書はイスラム教徒が作った偽典だとする説を補強する。

しかしバルバナの福音書に関して、6世紀、7世紀の書物にその存在が明記されているところからも、16世紀どころか少なくとも5世紀には存在したはずだとの説が強い。ただしローマ法王庁を頂点とするキリスト教の世界では、古代のバルバナ福音書が存在することなど認められないらしい。いろいろな理由をつけて、そんなものが存在することは「あり得ない」と断定している。

洞窟の髑髏が抱いていた福音書

1970年代のトルコは3ケタに達するインフレ率で物価は高騰し、失業率は高く、政治も経済も混乱の極みにあった。そんななか政治テロが頻発し、トルコ国家は壊滅状態だった。1980年に入ると、大統領の任期切れが来ても議会は後任を選びだせず、巨大労組連合がゼネストを呼びかけ、左翼と右翼が激突。その混乱に乗じてクルド族が分離独立の闘争を展開していた。
この混乱の真っ最中、1980年9月の軍事クーデターは、必然として起きたものだった。
軍が強権を発動し、トルコ全土に戒厳令が敷かれた。

年が明け、1981年を迎えたが、トルコはなお経済混乱の中にあり、軍政が継続されていた。そんなときにシリアとの国境に近い東アナトリア地方ハッキャリ県のウルデラという寒村の洞窟の中から奇妙なものが発見された。非常に古い時代のものと思われる骸骨と、その胸に抱かれていたパピルスの束である。

村人たちは、これが「お宝」に違いないと確信した。トルコ中の人々が経済的苦境に喘いでいたときの話で、発見した「お宝」を村人たちがカネに換えようと考えたのは、当然のことだった。

しかしそのパピルスに記された文字は、村人の誰にも読めない代物だった。そこで村人たちは、尊敬する有名なイスラム教の大博士で、古代言語に詳しいハムザ・ホシャギリ師にパピルスを数枚手渡し、これが何であるか訊ねてみた。

パピルスに記されていたのは古代シリア文字で書かれたアラム語だった。アラム語とは紀元前後に中東で使用されていた国際語で、イエスもアラム語を口にしていた。わずかのパピルス文書を読んだところで、ハムザ師はこれが噂で聞いたことのある「バルナバ福音書」に違いないと確信するようになる。

パピルスは没収。政府に圧力がかけられる

ウルデラの村人たちはハムザ師の言葉の端々から、パピルスが間違いなく「お宝」であると確信し、これを売りさばこうと町に向かう。ところが村を出たところで軍に囲まれ、村人の行為は「盗掘」にあたるとされ、パピルスは没収されてしまったのだ。

ハムザ師は軍に没収されてしまったパピルスが重要なものであることを理解していた。しかし軍政の間は、ハムザ師は何もできなかった。

2年後の1983年12月末、混乱のトルコで経済再建のために首相に選ばれたのはトゥルグト・オザルだった。本題とは無関係だが、1985年のイラン・イラク戦争のとき、イラン在住の日本人救出のためにトルコ航空機が派遣されたが、この航空機の派遣決断をしたのがオザル首相で、日本には彼を慕い尊敬する人は多い。オザルは混乱期のトルコ経済を建て直し、10年にわたる長期政権を成功させた辣腕政治家である。

ハムザ師はオザル首相にウルデラ村出土のパピルスがいかに重要なものかを説いた。しかし混乱の政局、経済体制を建て直すためにオザルは昼夜なく働いており、とてもハムザ師に耳を傾ける余裕などない。ハムザ師がオザル首相と直接会って話すことができたのは、イラン・イラク戦争まっただ中の1986年のことだった。

ハムザ師の話を傾聴したオザル首相の計らいで、ウルデラ村出土のパピルスは順次撮影され、解読することが許された。以降、ハムザ師の下、古代シリア語で書かれたアラム語の解読が進んだ。だが、全体の2割程度しか解読されないところで、突然に作業は中止されることになった。作業中断は政府からの命令だったが、その背後に何者がいたのか、わかっていない。ローマ法王庁からの強い要請があったとか、米大使が威嚇したとか、国連から命令されたとか、さまざまな噂はあるが、本当のところは不明だ。

作業が中止される直前に、幸運なことにハムザ師は、この福音書が全部で4束(4冊)作成され、ウルデラと同じものがあと3カ所に隠されているとの文章にめぐり会っていた。その3カ所とは、シリア領ゴラン高原、イラク北部の町、サウジの修道院だった。

イスラム教に改宗、そして暗殺

ゴラン高原とはシリア領ながらイスラエルに占領されている地で、ハムザ師が翻訳したウルデラ村の福音書には、位置が特定できるゴラン高原の地図が記されていた。サウジアラビアの北部にあるトゥル山の修道院も、福音書が秘匿された地。そしてトルコ国境の町で35万人が住むイラク北部の大都市ザホにも同じ福音書が隠されていると書かれていた。

この3点のうち、2カ所――ゴラン高原とサウジの修道院からは、古代の福音書が取り出されている。イラクのザホからは、まだ見つかっていない。サウジの修道院から福音書を取りだしたのはサウジ軍で、2007年のことだ。この福音書は現在サウジ王家の手元にあるとされるが、その後の情報はない。

シリア領でありながらイスラエルが占拠しているゴラン高原の福音書を探すために、ハムザ師はイスラエル人の女性を頼った。かつてトルコのイスタンブール大学の研究室でハムザ師の下で学んでいたヴィクトリア・ラビンという女子大生だ。彼女の祖父はイスラエル首相だったイツハク・ラビンである。

ラビン首相はアラブとの和平を積極的に進めた元軍人で、和平合意のオスロ合意に調印し、パレスチナ和平でノーベル平和賞を受賞した人物。だがラビン首相は1995年11月に和平合意に反対する青年の凶弾に倒れ在任中に死亡している。

ヴィクトリア・ラビンの協力を受け、問題の福音書はゴラン高原にあるダビデ王ゆかりともいわれる遺跡の中から発見された。ラビン首相が凶弾に倒れてから7年後――2002年のことだった。ハムザ師は直ちに古シリア語で書かれたアラム語の翻訳に取りかかった。それはまさしく『バルバナ福音書』であった。ハムザ師の翻訳を読み終えたヴィクトリアは、その日からイスラム教に改宗してしまった。

敬虔なユダヤ教徒であったヴィクトリアがイスラム教徒になったのだ。そして間もなく、彼女は殺害されてしまった。なぜヴィクトリアは殺されたのか、その理由は明らかにされてはいない。

盗賊団が隠し持っていたハルナバ福音書

この原稿の冒頭部に、今年7月、ローマ法王庁がトルコ政府への要請をした話を書いたが、じつは2年前の2012年2月にもローマ法王庁はトルコ政府に同様の要請を行っている。このときもバルナバ福音書と思われる古代聖書が問題となったのだ。その経緯をご紹介しよう。

2012年2月末にトルコの新聞『トゥデイズ・ザマン』紙ウェブ版に、「2000年にトルコ警察が密輸捜査の折りに、地中海地方で密輸団から古代の聖書を押収した。それは長らくアンカラの民俗博物館が保管し調査していた。これについてバチカン(ローマ法王庁)が正しい調査を行うよう申し入れをした」という記事が掲載された。

2000年に警察が押収した古文書は、アンカラの民俗博物館が独自の調査により、動物の毛皮に古シリア文字でアラム語が記されており、紀元前後に作成されたものと分析したらしい。それを伝え聞いたローマ法王庁が、カトリックの研究者による正しい調査を行ってほしいと注文したというのだ。『ザマン』のウェブ版には「警察に押収されなければ12億円で取引されただろう」との記事も載っていた。

12億円とは安すぎる感がする。キリスト教界を根底から揺るがす代物だから、数十億円くらいが妥当とも思えるが、持っていれば命までも狙われそうだから、そう高価な値はつかないかもしれない。それはともかく、「地中海の盗賊団」が持っていたバルナバ福音書とは何なのだろうか。

ハムザ師の解読では、バルバナ福音書は全世界に4冊しかないということだった。
ウルデラ村の福音書はトルコ政府が管理している。
サウジの修道院で見つかった福音書はサウジ王家が保管している。
イラクのザホという都市にある筈の福音書は、まだ見つかっていないとされる。
ゴラン高原から見つかったものは、訳本はヴィクトリア・ラビンに渡ったが原本はハムザ師が保管している。

しかしこれらは全て、伝聞情報でしかない。
なにしろキリスト教世界では、途轍もなく重要なものなのだ。イエスと行動を共にしていたバルバナが、イエス没後すぐに作成したものだとしたら、そこには限りなく真実に近いイエスの物語が書かれているだろう。そこでは今日信じられているイエス・キリストの物語は否定されるだろう。さらにユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教が「神」と崇めるものの正体について触れられているに違いない。
バルバナ福音書は公開されるだろうか。それは、いつだろうか。
一神教とは遥か離れた位置に立つわれわれでも、その内容が気にかかる。まして一神教の人々、さらにはキリスト教の信者にとって、またローマ法王庁にとっては、焦燥と苛立ちの日々が続いていることだろう。■






                              2013年12月4日
「恨日」に凝り固まった朴槿恵

就任以来、一貫して「反日」姿勢をとり続ける韓国の大統領・朴槿恵(パク・クンヘ。発音上はパク・クネ)。その反日ぶりは凄まじいの一語に尽きる。訪米した折りには議会演説で「反日」を叫び、中国に行って習近平国家主席と会談しても「反日」。11月にヨーロッパを歴訪した折りにも、どの国に行っても「反日」の皆勤賞。英、仏あたりでは「なぜ無関係のわれわれに日本批判を主張するのか」とあきれ顔をされている。

さすがに当の韓国でも、エスカレートする朴槿恵の反日言動には批判が出始めている。「冷静で理性的な国益計算が必要だ」(中央日報)、「国家指導者は、ときには国民感情を乗り越えて未来を見なければならない」(朝鮮日報)などなどである。

日本の週刊誌マスコミも、暴走する朴槿恵にはお手上げといった感じだ。事情通の中には「朴槿恵の言動は『反日』ではなく『恨(ハン)日』なのだ」と解説する者もいる。恨日とは、いったい何か。朴槿恵の人生を振り返ると、「恨日」に凝り固まるウラ事情が見えてくる。

怨念の塊・朴槿恵

今年(2013年)7月、全斗煥(チョン・ドファン)元大統領の自宅や、長男が経営する会社に、突如として地検特捜チーム90人が押し入った。全斗煥とは1980年代に韓国大統領だった人物で、今年82歳。不正蓄財で有罪となり、追徴金2205億ウォン(約200億円)の判決を受けたが、まだ総額の4分の1くらいしか支払っていなかったものだ。

韓国の追徴金には時効がある。全斗煥の追徴金支払は今年10月に時効を迎えるはずだったが、7月になぜか時効が2020年まで延びる法案が可決され、その4日後に地検特捜チームが全斗煥の財産を徹底的に洗い出しはじめたのだ。

全斗煥はすでに過去に受賞した勲章を剥奪され、今度は家族すべての財産が没収されそうだ。これというのも、朴槿恵大統領の「全斗煥に対する恨み」が原因だとささやかれている。

全斗煥に対する恨みとは何か。

話は1979年10月の朴正煕暗殺事件にさかのぼる。

朴槿恵の父である朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺された。暗殺犯は朴正煕が信頼し、可愛がっていたKCIA部長の金載圭という男だった。

大統領が暗殺されたため、その権限は国務総理の崔圭夏(チェ・ギュハ)に渡ったが、全斗煥らのクーデターで軍部に権限を掌握され辞任。朴正煕暗殺から10カ月後には全斗煥が大統領に就任した。

全斗煥は朴正煕の秘蔵っ子として出世し、第一旅団長から保安司令官になった軍人。彼は大統領になり青瓦台(大統領官邸)に入るや、娘の朴槿恵が希望した朴正煕の追悼式も行わず、それどころか朴槿恵と弟、妹を青瓦台から追い出してしまった。その後、弟は覚醒剤中毒の疑いをかけられるような荒んだ生活を送り(現在は実業家として活躍)、妹は朴槿恵と対立するようになる。朴槿恵のイバラの道は、全斗煥によってもたらされた。

可愛がった父を裏切り、自分たちを追い出した全斗煥を赦すことはできない――30年過ぎようが100年経ようが、全斗煥に対する彼女の「恨み」が消えることはない。そして同様に、日本に対する「恨み」も。

朴正煕と妻の陸英修

満洲国軍中尉で終戦を迎えた朴正煕は、その後韓国国防警備隊を経て陸軍に入り、少佐から少将へと昇級。その間の1950年に二度目の妻、陸英修と再婚している。陸英修は女子高卒の才媛で、結婚後も勉強を続け、政治、経済、社会問題などに目を向けたすばらしい女性だったようだ。

1961年、軍事クーデターが起こり、朴正煕は翌年大統領代行、1963年に大統領に就任。1965年(昭和40年)には佐藤栄作首相と『日韓基本条約』の調印を行い、日本の資金によって「漢江の奇跡」とよばれる韓国経済の大復興をなし遂げさせた。

ところがこのころから朴正煕と陸英修の関係が悪化する。原因は朴正煕のご乱行だという。

朴正煕は妻と子供が待つ自宅には寄りつこうともせず、周囲に美女を侍らせて、乱痴気騒ぎをくり広げていたという。

「17歳から21歳までの女子大生で、とびきりの美女ばかりを何人も集め、破廉恥極まりない状態だった」――これは韓国情報に詳しい人物の話である。この情報がどれほど正確かは不明だが、あたらずとも遠からずといったところだろう。

高校から西江大学に進学したころ、朴槿恵は母・陸英修と2人で、父のご乱行が治まるように祈りを捧げる日々が続いていた。ところが朴正煕のご乱行は治まるどころか、ますますエスカレートしていったのだ。

大学で中国語を完璧にマスターした朴槿恵は、卒業後、フランスのグルノーブル大学に留学し、フランス語を学んでいた。彼女が渡仏して1年余、1974年8月に文世光事件が起き、母・陸英修は殺されてしまった。

急きょ帰国した朴槿恵は、その後母に代わってファーストレディとして朴正煕大統領を支えることになった。しかし、母が許さなかった父・朴正煕のご乱行は、目を覆うばかりのものだった。

文世光事件とその背景

文世光事件とは1974年の光復節(8月15日に日本からの独立を記念する祝日)に起きた事件。在日朝鮮人の文世光(当時22歳)が、韓国大統領・朴正煕を暗殺しようと撃った銃弾が、夫人の陸英修の命を奪った事件である。

事件のあらましを記そう。

1951年12月26日生まれの犯人・文世光(日本名・南条世光)は、本人の自供によると、大阪朝鮮総聯の支部長から朴大統領暗殺の指令を受けたという。
文世光は1974年7月に、大阪市の派出所から拳銃を盗み出す。そして日本人の偽造パスポートを使って8月6日に韓国に潜入。ソウルのホテルに宿泊した。

事件当日、文世光は正装し、日本の政府高官のようなスタイルで記念式典会場の国立劇場に向かう。高級車に乗っていたこと、身なりが立派で堂々としていたことから、警備員にも見とがめられず、招待状も持たないのに、式典会場に入ってしまったのだ。
式典が始まり、朴正煕大統領が演壇に立ってスピーチを開始する。
文世光は拳銃を抜き、大統領を撃とうとしたが、その前に暴発して最初の一発目で自分の足を撃ち抜いてしまう。それでもかまわず彼は通路を走り、20メートル先の大統領に向かって第2弾目を発射した。
長い間軍人として活躍していた朴正煕は、最初の銃声で身構え、2発目が撃たれたときには演壇の下に潜って難を逃れた。
文世光は3弾目を撃ったが、これは不発だった。続いて4弾目を撃つ。この銃弾が演壇の後方、椅子席に座っていた陸英修夫人の脊髄を撃ち抜き、夫人は死亡した。
文世光はさらに5弾目を撃ったが、それはあらぬ方向に飛び、演壇後方の韓国国旗に命中した。
文世光が銃を撃ち始めてすぐ、大統領警護員たちが銃で応戦。その流れ弾が当たって女子高生が1人死亡し、けが人も何人か出ている。
犯人、文世光はその場で取り押さえられ、裁判で死刑が宣告され、同年12月に処刑された。

仕組まれた劇場型犯罪ではないのか

事件直後、さまざまな情報や噂が流された。その第一は、事件のウラに日本が関与しているのではないかという説だ。第二は、じつは自分が狙われたと見せて、朴正煕自身が妻を殺したのではないかというものだ。
たしかに奇妙なところが、いくつかあった。

大阪の交番から白昼堂々、銃が盗まれるなど、考えにくい。
そのうえ、銃を持った男が韓国に入国することは、当時の状況から考えて、非常にむずかしい。常識的に考えて、あり得ない話だ。犯人・文世光は日本のパスポートを持っていた。日本人が偽造パスポート作成に加担したはずである。

さらに、たとえ正装していたとしても、招待状も持たない人間が祝賀会場に入れるものなのだろうか。日本政府高官に与えた招待状が使われたに違いない。それが隠されているのだという噂まで、まことしやかに流されていた。

朴正煕は当時、暗殺されても仕方ないほど敵が多く、厳戒態勢の警備だった。そのようなところに、拳銃を持った若い男が、持ち物検査もされずにフリーパスで入ることなどできるものだろうか。
そして彼は、客席の前方、演壇まで至近距離のところに着席できたのである。
文世光は拳銃の撃ち方を知らない。YouTubeにアップロードされた当時の現場フィルムを参照しながら説明すると、

1弾目はバカな話に聞こえるが、自分の足を撃っている。(0:12)
2弾目は、まったく的外れだった。(0:18)
3弾目は不発。(0:18)
4弾目は、陸英修を一発で仕留める正確無比な銃撃。(0:19)
5弾目は、まったく的外れ。(0:19)
(なお、0:35で聞こえる銃声は、ある警護員の誤射。この弾丸で合唱団員として式典に参加していた城東女実高2学年のジャン・ボンファさんが死亡。後続する悲鳴は、このとき彼女の周囲にいた女子高生たちがあげたもの)
ほんとうに文世光の撃った銃弾が陸英修に当たったのか。陸英修を撃ったのは、別な人間だったのではないのか。上記フィルムの音声に耳を澄ますと、1弾目の銃声の6秒後、2弾目、4弾目、5弾目の銃声が連続して、ほぼ同じ間隔で「タン・タン・タン」と響いている。3弾目が不発だったにしては、妙に整然としたリズムだ。また1名の警護員も緊張のあまりか客席に向かって銃を撃ち、その弾で女子高生が死んでいる。冷え切った夫婦仲を終わりにするために、朴正煕が殺させたのではないのか。日本の闇社会と密接な関係を持つ朴正煕が企んだものなのではないのか――そんな疑惑がささやかれていた。

陸英修の死亡に関し、検死などされていない。陸英修の命を奪った弾丸は、文世光が大阪の交番から盗んだ銃から放たれた弾なのかどうか、いまとなっては調べることはできない。

金正日と会談した朴槿恵

2002年5月、朴槿恵は突如として北朝鮮・平壌を訪問した。

この訪問にあたり、北朝鮮の金正日総書記は朴槿恵を迎えるために、自分の専用機を北京に飛ばしている。(金正日は飛行機嫌いで自分が乗ることはほとんどなかった。)

朴槿恵が訪朝した際、予定外のことだったが、金正日総書記が予告なしに朴槿恵の宿舎であった百花園迎賓館を訪れ、2人だけで密談をしているのだ。

このとき金正日は陸英修の死にふれ、「在日朝鮮総聯が関与していたことに対し深く謝罪する」と語ったと伝えられている。しかし、金正日がほんとうにそう語ったかどうかは、誰にもわからない。知っているのは朴槿恵と、亡くなってしまった金正日だけである。

事情通が語る。

「朴槿恵はもともと父である朴正煕が嫌いで、母・陸英修が大好きだった。日本びいきの父はイヤで、韓国文化を愛した母が好きだった。母に地獄の苦しみを与えた父を憎み、父が好きだった日本を嫌っていた。しかし、2002年の訪朝以降、朴槿恵の反日ぶりは異常なまでに進化している。金正日総書記は『陸英修殺害には日本が一枚噛んでいる』というような話をしたのではないだろうか」

その可能性は、非常に高いのだ。金正日としては、陸英修の死に関して在日朝鮮総聯だけの責任にしたくない。さらにいえば、日韓の政治対立は北朝鮮に利する。

真相は不明だ。しかし、金正日総書記の言葉を鵜呑みし、「愛する母を殺した真犯人は日本だ」と朴槿恵が確信したとしたら――。彼女は復讐に燃える鬼と化す。もともと素質的に恨みに燃えやすいタイプなのだから。

そのような「恨日」思想家を大統領に選んでしまった韓国は、まさに不幸といえる。いや、韓国だけではない。日本にとっても東アジア全域にとっても、そして世界人類にとってもたいへんな不幸といえるだろう。■






                               2013年4月24日
伊藤博文暗殺の闇

20世紀に入って間もない明治42年(1909年)秋10月、初代内閣総理大臣で枢密院議長だった大勲位公爵、伊藤博文が暗殺された。この歴史的事件の背後にはさまざまな噂話が流布されている。真相は未だ闇の中にあるが、本紙社主・松本州弘が得た人間関係の中から闇の奥を覗き、日韓のわだかまりを僅かでも解きほぐしてみたい。

暗殺事件の現場

明治42年(1909年)10月14日、伊藤博文は大磯の自宅を出発し、途中2泊して16日の朝に門司から鉄嶺丸に乗って大連に到着した。伊藤の外遊の名目は満洲視察であったが、真の目的は哈爾濱(ハルビン)でロシアのココフツェフ蔵相らと会談することにあった。会談内容は日本の韓国併合と満洲鉄道問題である。

日清戦争(明治27年)で勝利した日本は、清国の隷属下にあった朝鮮を自主独立国と認めさせ、半島から清勢力を一掃した。その後、日・露・清という列強が互いに牽制しあっているなか、朝鮮では王室内の対立が激化。実権を握った親ロシア派の高宗は明治30年(1897年)に朝鮮国(李氏朝鮮)を大韓帝国と改め、初代皇帝となる。高宗はロシアを頼りに絶対君主制を押し進め、改革開放派の弾圧を行ったが、明治37年に始まった日露戦争で日本が勝利すると後ろ盾を失ってしまう。明治38年の日露講和条約(ポーツマス条約)でロシアは朝鮮半島、満洲から全面撤退することになり、大韓帝国は日本の保護国となった。このときの初代総監が伊藤博文である。

大韓帝国を保護国とした日本では、韓国を併合(合邦)すべきとする意見と、それに反対の説が対立した。国内は真っ二つに割れ、どちらが優勢という判断すらつきにくい状況だった。大陸進出、拡大膨張路線を求める軍部と、韓国併合の経済的負担を危惧する財界との対立のように語られることが多いが、そうした単純な意見対立ではなかった。

当時の歴史観の根底に「日韓同祖論」が存在し、韓国民を皇民とし、アジアに輝く大日本帝国を建設するという夢が一方にあった。

韓国併合はブリタニカでは「annexation」と表現されている。この言葉は植民地化「colonization」とは異なり、「同等合併」を意味している。これはイングランドがスコットランドを合邦(1707年)した時と同じ表現で、まったく対等の合併という意識があった。

韓国総監であった伊藤博文は、日本による大韓帝国併合には反対だった。伊藤が残したメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これは「韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまで」という意味で、この言葉からも伊藤が日韓併合には否定的だったことは明らかである。

しかし時の内閣総理大臣・桂太郎首相、小村寿太郎外相は併合に意欲的で、明治42年(1909年)4月に韓国総監・伊藤博文と3者会談を行い、伊藤を説得する。このとき伊藤は2人の熱意に負け、併合を是認して韓国総監を辞任、4度目となる枢密院議長に就任している。

こうした状況下で同年10月に伊藤博文は門司から大陸に渡ったのだった。

10月18日に大連に着いた伊藤は、欧米諸国や清国が合同で主催する歓迎会に出席する。当時の伊藤の肩書は枢密院議長だったが、諸外国は伊藤こそが日本を動かす最大の巨人と認識していたのだ。

10月20日には大連から旅順に移動。日露戦争の激戦地二〇三高地を視察し、ロシア軍兵士の墓に詣でた後、特別列車に乗り込んで、遼陽、奉天(現瀋陽)、撫順を経て25日の夕方に長春に到着する。長春でもまた大歓迎会が催され、伊藤は夜の11時に哈爾濱行きの特別列車に乗り込んだ。

伊藤を乗せた特別列車は予定通りに翌10月26日午前9時に哈爾濱駅に到着した。

哈爾濱駅にはロシアの外相、蔵相、陸軍相を初めとして、各国外交団が出迎えに並んでおり、たいへんな賑わいだった。伊藤は駅に到着するや出迎えたロシアのココフツェフ蔵相と30分間の会談を行う。その後、駅構内でロシア軍儀仗兵を閲兵し、居並ぶ各国外交団と挨拶を交わして、片隅に陣取る在留邦人団の方向に向かって歩を進める。

そのときだった。

ロシア軍後方から近づいた斬髪洋装の青年が伊藤に向かって拳銃を数発発射したのだ。4メートルの至近距離から銃弾を浴びた伊藤はその場に倒れ、直ちに停車中の貴賓車に運び込まれ救急処置を施されたが、間もなく死亡が確認された。

青年は伊藤だけでなく、両隣を歩いていた2人も銃撃したが、初弾発射と同時に猛然と飛びかかったロシア警察官数名が折り重なるようになって青年を取り押さえた。

「コリア・ウラー(ロシア語で万歳の意)」

取り押さえられた青年、安重根はこのとき3度ほどこう叫んだという。

暗殺犯は安重根ではない

哈爾濱駅構内で4メートルの至近距離から伊藤博文を銃撃し殺害した犯人、安重根はその現場でロシア官憲によって取り押さえられた。ところが事件直後から今日まで、「伊藤博文殺害犯は安重根ではない」とする説が広く語られている。

その説もいろいろあり、互いに絡み合っている。また小説のネタとしてフィクションとノンフィクションが入り混じり、証拠が存在しているかのように語られることもあり、真相を複雑にしている。

真犯人は安重根ではないとする説は多数あるが、分類するとおよそ以下のようになる。

① ロシア帝国とくにロシア秘密警察が首謀者
② ロスチャイルド黒幕説
③ 日本の右翼団体、なかでも杉山茂丸
④ 義兵団などの大韓帝国排日組織

「ロスチャイルド黒幕説」は主にインターネット(『阿修羅』など)で流されている。決して不真面目なものではなく真剣に扱っているものが多いが、物証はなく推理に推論を重ねたもので、いわゆる「ユダヤ陰謀論」的な怪しさだけしか理解できない。

「日本の右翼団体関与説」は説得力があり、多くの賛同者を得ているように思える。『暗殺・伊藤博文』(上垣外憲一著/ちくま新書)や『伊藤博文暗殺事件 闇に葬られた真犯人』(大野芳著/新潮社)といった研究者たちの観察眼には敬意を表したくなるし、納得もできる。しかしこちらも物証に乏しく、また杉山茂丸の本質を理解していないのではないかとの疑念がある。ちなみに杉山茂丸とは明治期の日本を陰から動かした巨人で、福岡「玄洋社」の真のオーナー。明治天皇と密接な関係にあった奇妙な怪人物だが、本格的な研究書などは存在しない。

「ロシア帝国関与説」は、一般的に最も本命視されているようだ。昨年刊行された小説『銭の戦争』(波多野聖著/角川春樹事務所)でもロシア秘密警察が伊藤博文を暗殺したように描かれている。この「ロシア関与説」の最大の根拠となっているのは『室田義文翁譚』(田谷広吉・山野辺義智編/常陽明治記念会)の記述である。貴族院議員の室田はずっと伊藤に同行し、哈爾濱の狙撃現場で自身も銃弾を浴びたという。その室田が「狙撃犯は安重根ではない」と証言しているのだから、説得力はある。

さらに外務省外交史料館の『伊藤公爵満洲視察一件』と題された綴り3点中にも「凶行首謀者及ヒ凶行ノ任ニ當タル疑アル者」が安重根以外に25名存在したと書かれており、単独犯行説は事実掩蔽のための捏造ではないかというのだ。元九州大学大学院客員教授の若狭和朋は『室田義文翁譚』と外交史料館文書の双方から「真犯人はロシア特務機関」と断定する。

伊藤暗殺は「義兵団など朝鮮族排日運動」による組織がらみの事件で、安重根は狙撃実行犯役のコマとして使われただけに過ぎないという説も根強い。これによると伊藤博文を殺害した真犯人はロシア在住の韓国人、楊成春だという。楊成春は安重根とも親しく、事件当日、狙撃実行犯だった楊成春は、安が取り押さえられている隙に現場を脱出。しかし直後に何者かによって射殺されたという。

伊藤博文暗殺事件に関し、こうした異論、異説が飛び交い、未だに結論が出されていないのが現状なのだ。

事件の真相に迫る

物証もなく、状況証拠だけで推理を積み重ねた「日本の右翼真犯人説」は、ここでは深く触れない。推理を重ねたものだから、その推理を論破することが非常に面倒で、なにより意味がないと思われる。ここでは最大の問題として、『室田義文翁譚』を検証してみたい。しかしその前に、前段階として誤解を解いておく必要がある。

安重根は真犯人ではないとする各説に共通してみられるものだが、伊藤博文の哈爾濱行、ロシア蔵相との会談は「極秘情報だった」という話がある。この極秘情報を安重根はどうやって入手したのか。――ロシアが教えたに違いない。そういった観点から、ロシア説がより強固になっていく。

しかしこの前提条件は、まったくの捏造話である。

明治42年10月当時、伊藤が「満洲視察」の名目で哈爾濱に出向き、そこでロシア蔵相等と会談を行うことは、日本、大韓帝国、ロシアの新聞各紙が多くは一面トップ記事で伝えており、極秘でも何でもなかった。また特別列車が哈爾濱駅に到着の予定時刻が午前9時だったことも、韓国やロシアの新聞には大きく掲載されていた。だからこそ在留邦人の多くが伊藤歓迎のために哈爾濱駅に集まっていたのだ。

貴族院議員、室田義文は伊藤博文に同行し、哈爾濱の狙撃現場で自身も5発の銃弾を浴びたという。その後、伊藤は直ちに現場横に停車中の特別列車に担ぎ込まれたが、医師は手の施しようがなく、30分後に息を引き取った。室田は伊藤の遺体処理に立ちあい、右肩から入って心臓手前で止まった1弾と、右腕を貫通し臍下に至った1弾を自分の目で確認した。その銃弾は安重根が所持していたブローニング拳銃弾ではなく、フランス式騎兵銃だった。

2発の銃弾はいずれも上から撃ち込まれており、水平に撃たれたものではない。安重根とは別に哈爾濱駅2階食堂付近に狙撃犯が潜んでおり、それが真犯人だというのだ。

『室田義文翁譚』のこの記述を読む限り、安重根以外の狙撃犯がいた可能性は非常に高いように思える。しかしこれは真実なのだろうか。元水戸藩士、メキシコ公使だった室田義文を疑うつもりは毛頭ないが、いくつか納得できないところがある。

銃弾に倒れ列車に担ぎ込まれた伊藤博文は絶命するまでの30分、意識はしっかりしていたようだ。自身で「3発当たった。(撃ったのは)誰だ」と言い、自分の正面に飛びだしてきた斬髪洋装の青年からの銃弾を浴びたと伊藤博文自身が証言している。

さらに伊藤の臨終を看取った医師は、3弾すべてが致命傷になったと判断。銃弾の1発目は右上膊を穿通して第7肋間に水平に射入、2発目は右肋関節を通して第9肋間に、3発目は上腹部中央右より射入し左腹部の中に、3発とも盲管銃槍で、弾は体内に留まったままだったと証言している。

室田の話ではフランス式騎兵銃の弾が使用されたとされるが、伊藤公の尊厳を損なうとの理由で司法解剖は行われていない。司法解剖が行われなかったのは事実隠蔽のためとの説もあるが、仮にそうだとしても、盲管銃槍で体内に残ったままの銃弾を室田だけが現認したという話は辻褄が合わない。さらに、伊藤博文のかなり後方を、3、4人と共に歩いていた室田だけが5発の銃弾を浴びたという話も疑問である。

室田の談話が掲載された『室田義文翁譚』は事件から29年後の昭和3年、室田没後に翁から話を聞いた者たちの思い出話として刊行された書で、本人の知らぬところで勝手に修飾増幅された可能性が高い。

安重根は7発を撃ち尽くし、伊藤に4発撃ったと自供している。

安は伊藤の顔を知らず、先頭を歩く者が伊藤だと思い4発連射。間違っている可能性もあると思い、後方から歩く2人に3発を速射した直後にロシア官憲により取り押さえられたと自供している。裁判及び外務省記録では、伊藤が3発被弾、横を歩いていた秘書官・森泰二郎、哈爾濱総領事・川上俊彦、そして後方十数メートルを歩いていた満鉄理事・田中清次郎が手足胸等に貫通弾を受けたとある。田中の数メートル後方を歩いていた満鉄総裁の中村是公も2発被弾したとの説もあるが、公式記録には中村被弾は記載されていない。

他にも安重根狙撃を否定する情報はあるが、現場に居合わせたロシア蔵相、外相、陸相、アムール総督も詳細な証言を残し、また在留邦人の供述もすべて安重根による単独狙撃としており、疑念は存在しない。 

安重根が狙撃実行犯ではあるが、安を操った黒幕が存在したか、もし存在した場合、その黒幕は何者かという問題が残る。日露戦争を含む対露謀略の首謀者として露国特務筋が伊藤を処刑したとする若狭和朋の説もあるが、当時ロシア側が満鉄権益に関して伊藤を最大の交渉相手としていた状況下での暗殺は考えにくい。

外務省外交史料館に現存する『伊藤公爵満洲視察一件』に「凶行首謀者及ヒ凶行ノ任ニ當タル疑アル者」が安重根以外に25名存在したと書かれており、これを以て安重根以外に真犯人グループが存在したとの主張もある。

これは間違いではない。「伊藤博文暗殺は安重根の単独犯行だった」と思っている方がいるかもしれないが、この事件に関連して殺人予備罪、殺人幇助罪で安以外に3人が懲役刑を受けているのだ。

明治42年10月26日の時点で、清国領土であった哈爾濱はロシアの管理下に置かれていた。伊藤博文殺害という大事件が発生するや、日本の対ロ感情を危惧したロシアは、僅かでも関与の可能性がある者をリストアップし、その数は20名を越え最大25名に達するとしていた。そして16名が訊問対象となり、最終的には安重根他8名が容疑者として旅順に護送された。旅順では日本警察による厳しい取り調べが続き、最終的には安重根以外の5人が容疑対象となった。禹徳淳(32歳・煙草商)、曹道先(36歳・洗濯業)、劉東夏(17歳・無職)、鄭大鎬(34歳・税官吏)、金成玉(48歳・薬商)である。このうち裁判で有罪となり懲役刑に服したのは禹徳淳、曹道先、劉東夏の3名だった。罪状は殺人予備及び殺人幇助だった。

安重根を看取った男

真犯人は安重根ではないとする謀略説を調べていくと、その根底に妙な差別意識があることに気づく。当時世界の巨人と考えられていた伊藤博文を、韓国人あたりが殺害することなどあり得ないという思いだ。天下の伊藤博文公を愚かな韓国人が殺すなど、あってはならない。絶対に巨大な勢力が動いたはずだという確証のない優越意識がそこにあるように思える。

真の実行犯・安重根とはそもそもどんな人物だったのか。安重根自身は伊藤博文殺害をどう自供しているのか。それを知る必要がある。

安重根の祖父は鎮海郡守を勤めた両班(ヤンパン=貴族階級)だった。

安は老いた母と妻、2人の幼子を残して明治38年の日韓保護条約締結後に対日ゲリラ組織の義兵団に入り、2年後には参謀中将司令官として豆満江周辺で日本軍と数度の銃撃戦を繰り返していた。安重根の射撃の腕前は相当なものだったと伝えられる。伊藤博文に対して、4メートルの至近距離から弾丸を外すような腕前ではない。

しかし当時の国際情勢は、安重根を初めとする抗日ゲリラがどう頑張っても、思うようには動かない。ロシアを後ろ盾としていた義兵団に対する支援協力は細り、安はより過激な地下活動展開を求めて明治42年正月に同志12名で「断指同盟」を結成、安はその盟主となっていた。

明治42年10月26日の事件当日、伊藤博文公が哈爾濱駅で狙撃され、午前10時に薨去せられた。その緊急連絡を受けた旅順の日本軍関東都督府陸軍は、当然ながら厳戒体制に入った。当時、憲兵上等兵として関東都督府陸軍にいた千葉十七は、愕然となると同時に憎悪の念がこみ上げ吐き気をもよおすほどだった。

翌10月27日、夜も明けやらぬ早朝、憲兵大尉・日栄賢治以下12名に哈爾濱行きの命令が下った。千葉上等兵もその中に含まれていた。千葉は任務内容など聞かされぬまま列車に乗り込んだのだが、このときから彼の運命は思わぬ方向に動き出した。哈爾濱から狙撃実行犯・安重根及び共謀容疑者8名を護送した後、旅順に於ける裁判から死刑執行までの5ケ月間、千葉は看守として唯一人安重根を見守り続け、死後も合掌を続ける一生を送ったのである。

自作農千葉新吉の三男千葉十七(とうしち)が宮城県の猿飛来で産声をあげたのは明治18年1月15日、陰暦明治17年11月30日だった。十七の名は陰暦から採られたもので、十七が尋常小学校に入学したのは明治24年。教育令改正から既に12年が過ぎ、4年間の義務教育は無料だったが、僻地では教師も学校も不足し、尋常小学校といえども寺子屋同然。高等科は有料となり、隣町までの2里を4年間徒歩通学。高等科1年で日清戦争時の国威高揚を体験した三男坊・十七の夢は軍に入隊し出世を続け、特務曹長(准尉)まで上り詰めることだった。徴兵令規定の満20歳を待たず17歳で甲種合格を果たした十七は、両親の勧めに従い20歳で入隊するや憲兵を志願。4年後の明治42年には憲兵上等兵として旅順の関東都督府陸軍勤務を命じられる。そしてこの地で伊藤博文暗殺犯の安重根とめぐりあったのだった。

安の主張は訊問裁判を通して微塵も変わらなかったが、最後の一瞬に看守である千葉十七に対して、自身に仁の心が欠けていたと頭を下げ、「為國献身軍人本分(國の為身を献げるは軍人の本分)」と認(したた)めた書を手渡す。以来千葉は死ぬまで安重根を祀り合掌を続ける日々を送る。

当初は安重根に対して憎悪を募らせていた千葉十七であったが、安の起居行動全般を見るに異様な清廉さを感じざるを得ない。会話を交わす機会はほとんど無かったが、訊問や調書を通して千葉は安の素性を理解する。維新後、薩長政権により辛酸を嘗めさせられた故郷・宮城県の猿飛来に通じるものが韓国にある。正義は新政権にある。それは決して間違ってはいない。しかし疲弊困窮するのは民のみ。日本の保護下に置かれた大韓帝国は、まさにその状態にある。語らずとも千葉の思いが安に伝わったのだろうか、その後二人は気脈を通じさせる。

その深奥は互いを「男」として理解したこととも思われる。千葉は安重根の中に男を認め、安もまた千葉に「男」を見ていた。男として、軍人として、武士としての心根を感じていたと言っていいだろう。

獄中で安が執筆した『東洋平和論』はアジアの和平を説いたものであり、今日も正論として受け止めることが出来る。男として、それを理解することができる。

事大主義と戦後教育で反日感情を露にする半島の民に、同じ水準で敵愾心を燃やせば、安重根の『東洋平和論』は遠ざかるだけなのだ。

安の遺墨は昭和54年に韓国に渡されたが、千葉十七の思いを引き継ぐ作業はわずかながら今日なお続いている。この思いを続けることが大アジアの和平につながる。■






次のローマ法王は「最後の法王」となるのか?
「聖マラキの預言」が暗示するバチカンの終焉


ローマ法王ベネディクト16世が自ら退位して、新しい法王が選出されることになった。8年ぶりに行われるコンクラーベという法王選出法も興味深いが、次の法王が「最後の法王」だという噂もある。いまたしかに世界中が混乱混迷の中にあるが、これはキリスト教が預言する「最終戦争」が起きる前夜なのだろうか。

ローマ法王辞任の衝撃

2月11日に第265代ローマ法王ベネディクト16世が高齢(85歳)を理由に退位を表明した。ローマ法王となった以上は死ぬまで法王を続けるのが当然と考えられていたため、キリスト教社会にとっては衝撃が大きかった。じっさい、法王が退位を申し出たのは、教会大分裂の解消のために退位したグレゴリウス12世以来約600年ぶりのこと。異例中の異例の話なのだ。

ところで「ローマ法王」という表現は日本では普通に使われているが、正しくは「ローマ教皇」である。正確に表現すると「ローマ司教、キリストの代理人、使徒の頭…」と恐ろしく長大な肩書きになる。本稿では日本で一般に用いられる「ローマ法王」で統一しておく。

ベネディクト16世は2005年4月に前法王ヨハネ・パウロ2世の後を継いで法王になった。しかしこの時すでに神父による性的虐待のスキャンダルがローマ法王庁を揺るがしていた。法王の座に就くや、ベネディクト16世は性的虐待の特別調査を命じ、被害者たちと面会して謝罪するなど火消しに努めたが、被害者たちは納得しなかった。今回も法王の退位表明後、同性愛、幼児虐待の話題は燃え広がり、真実か否かはわからない猟奇的な内容に世界が興奮している。しかし本当のところは、この下品な話題よりはるかに重要な問題がある。カネや利権の問題だ。性的な話題は、このカネの問題から目を逸らすために仕掛けられているとの噂もいっぽうにある。

下世話な話題はともかく、ベネディクト16世はすでに2010年に著書の中で「法王は体力的、心理的、精神的に務めが果たせなくなった場合は辞任する権利と責任がある」と書き、このときから「法王は引退を考えている」という情報があった。じつはベネディクト16世の前の法王だったヨハネ・パウロ2世も、かつて退位を真剣に考えていたようで、在位中の2002年には「法王が退位を検討している」との報道がされたことがあった。

法王退位の情報は超ビッグニュースとして世界中を駆け巡り、その理由についてもいろいろ報道されたり陰で囁かれたりしている。しかし何といってもその深奥に30年も前に起きたロッジP2事件があることは間違いない。

世界を震え上がらせたロッジP2事件

「フリーメイソンなど実在しない」「フリーメイソンは実在はするが、単なる親睦団体だ」

――日本ではその程度の認識が多かった1976年(昭和51年)に、イタリアのフリーメイソン、P2ロッジがフリーメイソンから破門された。破門の理由は武器売買など違法取引をしたためとされる。これが本当に破門だったのか、見せかけだけのものだったか、説はいろいろあり、真実は不明だ。問題はその後のP2ロッジの活動にあった。

武器売買を指揮していたロッジのグランドマスター(親分)は元極右ファシスト党員ジェッリという人物で、南米の軍事政権とつながり武器売買をしていた。噂では米CIAとも密接な関係にあったとされる。

ロッジP2はフリーメイソンから破門されたが、その後も秘密裡に活動を続けていた。破門となった1976年には銀行をいくつか持つ大資産家シンドーナという男が3億ドル横領事件を起こして逃亡。この男はP2のメンバーだったが、4年後の1980年にニューヨークで逮捕された。

ところが翌1981年1月、マンハッタンの刑務所に収監中のシンドーナを白昼ヘリコプターで奪いさろうという事件が起きた。この脱獄劇は成功しなかったが、同じ年の夏、今度はイタリアのボローニャ駅で85人が死亡する爆弾テロが起きる。他にもさまざまな陰湿な事件が起き、すべてはP2の仕業と睨んだ警察は、ナポリにあるグランドマスターのジェッリの家を急襲。ジェッリは不在だったが、警察はそこからP2に属しているフリーメイソン員900名超の名簿を手に入れ、これを公表したのだ。この中には38人の現職国会議員、4人の現職閣僚、30人の現役軍幹部、さらには諜報部員やマスコミ関係者、実業家などの名があった。興味深いことだが、元首相のベルルスコーニの名もこの名簿の中にあった。現在、未成年少女との売春疑惑や弁護士への賄賂問題でヤリ玉にあげられている元首相だが、この当時は実業家として有名な人物だった。

このP2絡みのフリーメイソン名簿の中に、ニューヨークで捕まり服役中のシンドーナの名も存在したが、シンドーナの仲間としてアンブロジアーノ銀行の頭取カルヴィの名もあったのだ。アンブロジアーノ銀行とはローマ法王庁の資金援助により設立された銀行なのだが、マフィアが僧や修道尼の名を借りてマネーロンダリングに使っていた可能性が高いと考えられた。しかし翌1982年にアンブロジアーノ銀行は倒産し、頭取カルヴィはロンドンに逃亡。そこで首吊り自殺に見せかけて殺されてしまう。

アンブロジアーノ銀行倒産より4年前の1978年に法王パウロ6世が亡くなり、ヨハネ・パウロ1世が法王に就任した。ヨハネ・パウロ1世はバチカンとマフィアの関係を断ち切ろうと、不正融資やマネーロンダリングの実態調査に乗り出したが、法王就任からわずか33日後に急逝している。法王の死については不明な点が多く、暗殺されたとの説が根強い。次の法王に就いたのがベネディクト16世の前の法王ヨハネ・パウロ2世だった。人望も厚くカリスマ性を持った偉大な法王との評判が高いヨハネ・パウロ2世だが、不正融資解明などには一切手を付けようとしなかった。

ロッジP2は1981年10月に「正式に」フリーメイソンから破門されている。5年前の1976年に一度破門されているのだから、その後の事件に関し「フリーメイソンとは無関係」と言い逃れもできただろうが、そうした主張は一切なかった。このことからも1976年の「破門」は形だけのものだったといわれることもある。

P2のグランドマスター、ジェッリはその後逃亡先のジュネーブで逮捕され、ボローニャ駅爆弾テロ事件やアンブロジアーノ銀行頭取殺害事件など多数の罪で有罪判決を受けるが、何度も脱獄している。この脱獄にはイタリア首相、閣僚などが関与したと噂されているが真相は不明だ。1987年には64件の殺人事件と136件の密輸などの罪で終身刑を宣告されたが、2005年に始まった裁判では無罪を勝ち取り、93歳の現在、P2を再生させようと活動しているといわれる。

退位したベネディクト16世の前の法王ヨハネ・パウロ2世はバチカンとマフィアの関係、マネーロンダリングなどについて触れようとはしなかった。ベネディクト16世もまたこの問題を放り出したままだった。その結果ついにローマ法王庁は、抜き差しならぬ状況に追い込まれたのではないだろうか。

バチカンに落雷、そしてロシアに隕石落下

ベネディクト16世の在位中には、法王庁は性的虐待事件以外にもさまざまな事件に巻き込まれていた。2006年には法王がドイツの大学で講演した際に、イスラム教の教えを邪悪とするビザンチン帝国皇帝の言葉を引用し、イスラム教徒から猛反発を受けたこともあった。また昨年(2012年)には法王庁の元執事が内部文書を暴露して大騒動が起きた。この内部文書は、バチカンの高官が法王に宛てて出した手紙などで、そこにはバチカンの内部対立や腐敗、高官の利己的な権力志向などが赤裸々に綴られていたのだ。

こうした醜聞に掻き回され続けた法王庁だったが、悪いことばかりではなかった。とくにベネディクト16世は環境問題と真剣に取り組み、ホールに太陽光発電パネルを設置したりもした。だが何といっても最大の功績は東方正教会との和解である。

ローマ・カトリックと東方正教会は8世紀に分裂したが、その後も関係は続いていた。それが1054年にそれぞれが相手を「破門」として完全に分裂したものだ。東方正教会は現在、東欧やロシアを中心に18の正教会を持っており、最大のものは信徒数1億人ともされるロシア正教会である。

中国に渡った景教やエジプトのコプト教会を東方正教会の仲間に入れることもあるが、一般的には東方正教会といえばギリシア正教会、ルーマニア正教会、ロシア正教会など18の正教会を指す。カトリックも東方正教会も、ともにキリスト教であり、教義の原則は同じ。宗教世界の中身に関しては誤解を招く表現が憚られるため、興味のある方はご自身で調べていただきたい。ひと言で言うなら、東方正教会のほうが原初的キリスト教に近く、カトリックが合理的なのに反し、東方正教会は神秘的だとされる。

ローマ法王ベネディクト16世と東方正教会コンスタンディヌーポリ総主教ヴァルソロメオス1世の二人が同席した「聖体礼儀」は、2006年11月29日にトルコのイスタンブールで行われた(イスタンブールは東ローマ帝国首都コンスタンチノープル)。この儀式で法王と総主教が互いを抱擁し、全世界に大ニュースとして流されたが、両者が完全に歩み寄るには、まだいくつかの高いハードルがあると思われる。しかし少なくともカトリックと東方正教会が合体に向けて動き出したことは間違いない。

それは一部には、腐敗と堕落で救いようのないローマ法王庁に、ロシア正教会の息吹を吹き込む覚悟ではないかとも表現される。ただしこれは、あくまでも比喩的な表現であって、現実には日本人の政治家が中国の閣僚に入るようなもので、そう簡単には起こり得る話ではないだろう。

ベネディクト16世が退位を表明したのは2月11日の月曜日。その夜、ローマを大嵐が襲った。そして法王が住むバチカンのサン・ピエトロ大寺院に落雷があったのだ。

その4日後の2月15日午前9時15分(現地時間)にロシアのウラル山脈中南部チェリャビンスク州に隕石が落下した。

どちらも自然現象である。しかしサン・ピエトロ大寺院の落雷は「神の怒り」の表れではないかと怯える者も多かった。またロシアでは隕石の本体がチェバルクリ湖に落ちたが、湖畔に建つロシア正教の教会で休日の祈りが捧げられている最中だったため、「神の啓示」だとする説が真剣に語られたという。

陰謀論が好きな人々は別な話題を口にしている。サン・ピエトロ大寺院の落雷はハープ兵器によるもの、そしてロシアの隕石はUFOが小惑星を撃墜したものだそうだ。そうした話で盛り上がる方々はどの世界にもいるので無視するしかないが、2月12日朝に行われた北朝鮮の核実験は、考えてみれば絶妙のタイミングで行われたものともいえる。

そもそもローマ法王ベネディクト16世の退位もまた絶妙のタイミングで行われたとしか思えない。ベネディクト16世は2月24日に最後のミサを行い、28日午後8時をもって法王の座を辞任した。ベネディクト16世の退位表明から辞任までの期間、全世界は揺れ動き続けた。イタリアの総選挙では欧州金融危機がくすぶり続けていることがわかったし、米国、中国、日本、いや世界中が不安定であることが明確になった半月だった。

世界は間もなく途轍もない大変革期を迎えそうだ。
2月中旬から3月初旬にかけて、そんな予感が多くの人々に去来したのではないだろうか。

聖マラキの預言

ベネディクト16世が去り、新たな法王は3月12日から始まったコンクラーベで選出される。誰が次の法王になるか、いろいろな説は出ているが、間もなく結果が出る。現在118人いる枢機卿のうち投票権を持つのは115人。そのうち67人はベネディクト16世が任命したもので、ベネディクト16世の意向が反映されることは間違いない。(法王になるためには3分の2以上、すなわち77票が必要。)

今度選出される法王が「最後の法王」だという話がある。オカルティストたちの間では有名な書である『聖マラキの預言』に、次の法王が最後だと書かれているというのだ。

『聖マラキの預言』という預言書が世に出てきたのは16世紀末。聖マラキは12世紀ごろに活躍したアイルランドの大司教で、このマラキ著した書にそうした記述があるというのだ。ただし『聖マラキの預言』の原本などは存在せず、16世紀末になって修道士が書いた著作の中に、そのような預言があったと記されていたとの伝聞話なのだ。

その預言には、歴代法王の特徴とか属性を連想させるような短い言葉が書かれていた。たとえばヨハネ・パウロ2世は「太陽の労働」とあり、これは彼がかつてポーランドの鉱山労働者であり、民主化運動の象徴的存在だった『連帯』に属していたことを表しているという。退位したベネディクト16世は「オリーブの栄光」と書かれていた。オリーブの枝をシンボルとしているのが『ベネディクト会』で、それを見事に言い当てているというのだ。

『聖マラキの預言』の信奉者によれば「すべてが恐ろしいまでに的中している」というが、正直なところ当たっているのか外れているのか、詳しく解説されないと理解できない。かつて一世を風靡した『ノストラダムスの大予言』のようなものだと考えればいいのかもしれない。

さて、そのノストラダムスならぬ『聖マラキの預言』では、ベネディクト16世の次の法王は何とされているか。以下に『ウィキペディア』に掲載されている「最後の法王」の文を引用する。

「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう.。」(In p'secutione. extrema S.R.E. sedebit.)
「ローマびとペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」 (Petrus Romanus, qui pascet oues in multis tribulationibus: quibus transactis ciuitas septicollis diruetur, et Iudex tremendus judicabit populum suum. Finis.)

「極限の迫害の中で着座する」とか、「様々な苦難の中で羊たちを司牧する」という言葉は、たしかに現在のローマ法王庁の苦境を物語っているようにも思える。「7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る」という表現は、黙示録を初めとしてダニエル書やエゼキエル書等々に書かれている「最後の審判」につながるものと考えていいだろう。

そしてその後に「終わり」と記されている。

この「終わり」についてもいろいろな説がある。世の中が終わる、人類の最後だという説もある。キリスト教社会が終わるという説もある。もっとも納得されている説としては、ローマ法王庁が終わる、法王という存在が終わってしまうというものだ。そんなに恐ろしい話ではないとする説もある。マラキ大司教による法王の預言がここで終わり――法王は続くが、マラキが預言を終えてしまったという説だ。

どんな説でも関係ないと考えるのが普通の日本人だろう。聖書もローマ法王も、キリスト教とは無縁の日本人にとっては、大した問題ではない。そう考えるのは当然のことだ。しかし一つだけ明確なことがある。こんにちの世界をリードしているのが聖書に生きる人々だということだ。

一神教の世界観で生きる欧米、中東の人々が何を考え何をしようが、私たちには関係ない――。残念ながら現代は、それを許してくれない。旧約聖書が語る恐怖の「最後の審判」や、『聖マラキの預言』が示すキリスト教社会の最後の刻が訪れたと考えている人々が、現代を動かそうとしているように思える。これを覆すことができるのは、聖書とはかけ離れた世界観を持つ人々だけである。■






                                 2013年2月10日
姿の見えない「敵」に注意


中東や東アジアで緊張が続くなか、怪しい噂話が乱れ飛んでいる。噂を信じてビクビクすることはないが、注意は怠らないようにしたいものだ。

関東上空に謎の光体が出現

さる1月21日早朝、関東地方上空に大きな音と無気味な光が出現。隕石が落下したのか、UFOが現れたのかなどと大騒ぎになった。映像も撮られているが、落下物はまだ確認されておらず、隕石が鹿島灘に落ちたとの見方が強い。

目撃者の証言や映像を見る限り隕石と思われるのだが、謎となっているのは強烈な光と同時に聞こえた大きな音だ。隕石が大気圏に突入したときの衝撃音だとしたら、光が見えてから数分以上も後から聞こえてくるはずだ。しかし目撃者のほとんど全員が、「光が走る(流れる)のと同時に大きな音がした」と話している。調べてみると、火球が出現したときに大きな音が鳴り響くことは多く、その原因は「電磁波音」ではないかと推測されているが、正確なことはわかっていない。

火球とは流星や隕石の落下などの際に見られることが多いが、航空機や雲に映る太陽、月などを誤認することもある。また火球をUFOだと騒ぐこともあり、目撃者や周囲が冷静に判断することが望ましい。

正体が不明の光体はたくさん目撃される。空中で何かが光っても、多くの人はあまり気にもとめない。世の中にはUFOが大好きな人々がいて、彼らは正体不明の飛行物体を見るたびに「UFO出現」と騒ぎ立てる。311大震災後の福島原発上空にもたくさんのUFOが飛来したらしい。これを見て「宇宙人が原発の状況を確認しに来ている」などと脳天気に解説するUFOオタクもいたようだ。

UFOは実在する

ここで断言しておくが、UFOそれ自体は間違いなく実在する。記者自身も何度かUFOを目撃しているし、周囲にも目撃者は多い。初めてUFOを見たのは40年ほど昔のことで、場所は東京練馬だった。午後遅く、上空にやや細長い灰色の物体が浮かんでいた。通りかかった老紳士と主婦も気づき、3人で見上げていたが、しばらくするとその物体は西の方向に流れるように移動して見えなくなった。翌日の新聞に「練馬でUFO騒ぎ」といった小さな記事が載ったところを見ると、目撃者は多かったようだ。

家族を乗せて車を運転中にもUFOを見ている。はるか上空に小さな光点が見え、次の瞬間その光は車に向かって急降下し、ぶつかると思って慌てて急停車したほどだった。

周りにもUFO目撃者はいる。UFOの存在は疑っていない。しかしそれが地球外宇宙から飛来してきたなどと考えたことはない。そもそもUFOとは「未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)」のことであり、宇宙人の乗り物を指しているわけではない。

昭和63年(1988年)にソ連国立UFO研究所所長のウラジミール・G・アジャザ博士が来日した。ソ連の科学者はUFOをどう考えているのか。そのとき短時間のインタビュー取材を行ったが、博士は言葉を吟味しながら学者らしい落ち着いた受け答えをしていた。その内容はしかし、正直なところ、あまり面白いものではなかった。

30,000件余のUFO目撃報告を精査したソ連UFO研究所は、そのほとんどが見誤りや虚偽報告と結論。全体の1%以下の200件弱は「説明不能の事件」とされ、詳細な調査が行われたが、地球外物体が飛来したと推定される事件は一切なかったというものだった。

ロシア語の通訳を帰し、こちらもノートやテープレコーダーを鞄に入れて、食事をしながら英語での雑談中に、博士から興味深い話を聞くことができた。

博士によると、UFO目撃事件は3、4種に分類できるが、その一つに「非生命体が意思を持つ生物のような動きを見せる」場合があり、それは霊的現象によく似ていて、ときに異次元の存在と考えられるという。

博士のUFO談議の中には「集団幻想」といった内容もあったが「隠れて行われる観測、研究、実験」がUFOの正体としては最も納得できるものだった。いちばん多いのが軍の実験である。博士は小型無人機の例を取り上げ、それが飛躍的進歩を遂げると予言したが、彼が軍人であったことを考えると当然の話でもある。

こうした夢物語だけではなく、日本軍の蒟蒻爆弾を熟知していたことも興味深かった。近年博士は異次元説に偏っていると聞くが、かつては全方位を均等に分析していた。

無人偵察機

2011年12月4日、イランは米軍無人偵察機RQ170をほぼ無傷の状態で捕獲したと発表した。当初米軍はこれを否定、「最近行方不明になった偵察機は存在しない」としたが、後にイランが回収した偵察機の映像を公開した直後から、それが米軍製無人ステルス偵察機であると認めざるを得なくなった。

オバマ大統領はイランに対し機体の返還を求めたが、イランはこれに応じていない。応じないのが当然のことだろう。このRQ170捕獲によりイランの無人機開発が飛躍的に進歩した可能性が高い。

RQ170は全長4.7メートル。かなり大きなものと感じるが、無人偵察機としてよく知られるRQ4グローバルホークは全長15メートル、翼幅40メートルという巨大なもの。

無人偵察機RQ170は311震災直後に福島上空を飛び回っていたことで知られる。311の地震直後に日本を襲った津波の映像があるが、これはRQ170よりずっと小型の無人機が撮影したものと思われる。

米軍は2005年以降、アフガンのタリバーン掃討戦に全長1メートルの無人機RQ11を投入しているが、津波の映像はこの程度の無人機が撮ったものと推測される。

日本でも防衛省技術研究本部などを中心に、かなり以前から無人偵察機の研究が進められてきた。偵察機ではないが、平成20年(2008年)には情報収集ロボットが公表されたこともあった。平成23年(2011年)6月には防衛省技研本部で球形の無人偵察機が完成し、同年10月には「デジタルコンテンツEXPO2011」(日本科学未来館)でデモ飛行が行われた。

この球形の無人偵察機は直径40センチほど。垂直離発着も可能。水平飛行もホバリングもできる。リモコンで操縦するものだが、ビデオカメラで撮影した画像をリアルタイムで送る機能もついている。防衛省技研本部の開発者によると、この無人機の部品はすべて秋葉原で買いそろえることができるという。高校生程度の知識があれば誰にでも簡単に作れるものらしい。

専門家によると最小の無人機はトンボやカブトムシ程度の大きさで、監視網をかいくぐって飛行し、映像を送信することが可能だそうだ。日本の無人機がどこかで活躍したという話は聞こえてこないが、膨大な数の無人偵察機が世界中で活躍していることは間違いない。それらが謎の光体だったりUFOと呼ばれたりすることはあり得ることだろう。1月21日早朝の火球騒動も、単純に隕石とは結論できないことがわかる。

無人攻撃機

2009年(平成21年)8月7日にパキスタン政府は「パキスタン・タリバーンの指導者ベイトゥラ・メスード司令官が米軍無人攻撃機により殺害された」ことを明らかにした。その半年後の2010年1月には同じパキスタン・タリバーンの指導者で米国市民7人殺害容疑により国際手配中だったハキムラ・メスード司令官も無人攻撃機により殺されたといわれる。

無人攻撃機(戦闘型無人機)の歴史は第二次大戦中のドイツV1号に遡るのか、あるいはドイツのV1号発射基地を破壊する目的で米軍がB17爆撃機を無人操縦に改造したことに始まるか、分析は学者諸氏にお任せするとして、とにかく第二次大戦以来ずっと研究開発が続けられてきたものだった。21世紀に入って無人攻撃機の性能は向上し、実用化が進み、現実に敵司令官を葬り去るところまできている。

攻撃側はオフィスでコーヒーを飲みながら画面上の敵を攻撃し、仕事を終えると通勤電車に乗って帰宅するといった日常生活の中で戦闘に参加することになり、道徳的な観点や精神ストレスが問題視されていることはあるが、こうした攻撃手段は今後もエスカレートしていくことだろう。

生化学兵器攻撃

無人機による攻撃は、これまで多くの場合、搭載されたヘルファイア・ミサイルが使用されてきた。ヘルファイアにも数種類のミサイルがあるが、だいたい大人ほどの大きさである。しかしこれでは大きすぎて、周囲の民間人を巻き込むケースが出てくる。そこで近年では、より小型のスコーピオン・ミサイルが使用されるようになっている。

スコーピオンは2010年4月に公開され、全長55センチほど。2009年のパキスタン・タリバーン司令官殺害もスコーピオンが使用されたという。

しかし無人攻撃機として怖い噂が囁かれているのは、小さな対象を攻撃するミサイルではなく、大量殺人兵器としての小型無人機である。わかりやすく言えば生化学兵器を積んだ無人機が無差別に出撃することだ。

米オバマ大統領は、シリアが生化学兵器を使用した時点で、限定的に米正規軍を投入すると言明。昨年12月5日、米国務省はシリア政府軍がサリン等複数の化学物質を装填した爆弾を準備したと報じている。いっぽうシリア政府は生化学兵器の保有を否定している。万一サリン等の生化学兵器が使用された場合、どこの誰が使用したものか、判断は極めて難しい。

サリン等の生化学兵器は、貧者の原爆と称される。オウムの地下鉄事件の2年後、平成9年(1997年)に発効した「化学兵器禁止条約」に署名していない国はシリア、北朝鮮、ソマリア、エジプト、アンゴラの5カ国のみ(署名国190)。

明確な殺意が立証される化学兵器が国家間紛争で使用される可能性は極めて低くなっているが、明瞭ではない生物兵器の恐怖はむしろ増大しつつある。怪しげな噂話を鵜呑みにしたくはないが、HIV(エイズ・ウイルス)もSARS(サーズ)も特定の人種を攻撃するために人為的に作り出された実験兵器だという説もある。

この冬、中国全土を襲っている大気汚染は「異常」といったレベルではない。異常をはるかに通り越したレベルである。

米国が定めた大気汚染指数(AQI=Air Quality Index)では

0~50 Good 綺麗で健康的な空気
51~100 Moderate 許容範囲であるが注意も必要な空気
101~150 Unhealthy for Sensitive Groups 一部で呼吸器症状が発生する空気
151~200 Unhealthy 人体に害悪 高齢者や子供に肺疾患が起きる空気
201~300 Very Unhealthy 誰もが人体上の悪影響を経験することになる空気
301~500 Hazardous 緊急事態 人口減少が起きる空気


となっているが、北京を含む中国東部でのAQIは1000を越えたという。もはや「人が住めるレベルではない」というのだ。

もともと中国の大気汚染は凄まじく、2008年北京五輪の折りには工場の操業を停止し自動車の通行を制限したほど。低品質の自動車ガソリン使用が大きな原因ともなっていた。冬場には中国大陸の大気が上昇することなく地上に留まりやすいため、中国全土を汚染物質が覆ってしまったと考えられている。すでに国務院常務会議では対策が決定され、年内には詳細な制限が発表されるという。

しかし一部には「意図的攻撃」説も出ている。証拠もない陰謀論の域を出ないが、汚染物質は九州や山陰だけではなく、関東から東北地方にまで達している。インフルエンザの流行もピークを迎え、外出には最大限の注意が必要なようだ。■






                                 2010年8月11日
異常気象は天罰か?
気象兵器が壊した「自然」が牙を剥いた!?



世界中が異常気象に見舞われ、大被害が続出している。
レタスやキャベツなどの野菜価格が高騰したり、サンマの漁獲高が減るなど、庶民の生活を直撃する問題もあるが、そんな微細な話ではない。大洪水で数千人の死者が出たり、熱帯で氷点下を記録し、南半球では凍死する人間も続出。そして北半球は猛暑に襲われている。地球全体が異常気象に見舞われているが、どうやらこのウラには、科学に頼り切った人類に対する「自然の恨みが爆発」といった面があるらしいのだ。

猛暑と極寒

7月29日、ロシアの首都モスクワは38.2度を記録。130年にわたる観測記録史上最高の気温を計測した。この猛暑のため、川や湖での水死者も激増。7月までに300人超が犠牲となっている。またモスクワ近郊やロシア中部では、日照りによる乾燥と猛暑のため森林火災、泥炭火災も発生。住宅1200戸が被害に遭い、30人が亡くなっている。

ロシアだけではない。米国ではニューヨークで39.4度(7月6日)を記録。この日は冷房のため電力消費が跳ね上がり、1万8000所帯が停電。市内500カ所に冷房が効いた避難所が設置されたほどだった。サンフランシスコ州立大の調査発表によると、自動車に残された子供が全米で26人も熱中症で死亡したという(7月末日までの記録)。ワシントンやラスベガスでも、観測史上最も暑い7月を終えることになった。

中国では6月に南部の広東省を中心に豪雨・水害が発生。また7月下旬には東北部の吉林省でも洪水が発生。中国当局の発表では、7月末時点で死者968人、行方不明者は507人。被災者総数は1億3000万人超(日本の総人口)に達するという。家屋の倒壊は90万戸に及び、農作物を含めた経済損失は1810億元(2兆3000億円)。

パキスタンでは7月28日の豪雨で北部の河川が氾濫。洪水と土砂崩れなどで800人以上が死亡。国連は1929年以降最悪の被害状況で、パキスタン全体で100万人が被災していると報告している。

いっぽう南半球では、想像を絶する寒波が襲来している。ブラジル南部のマトグロソドスル州では、低体温症のため牛3000頭が死んでいる。ペルー南部の都市アレキパでは、冷え込みが氷点下17度に達し、家畜のアルパカが死ぬなどの被害が出ている。氷点下10度以下という“考えられない寒さ”にまで冷え込んだアルゼンチンでは、首都ブエノスアイレスで路上生活者などが多数死亡。通常は冬でも暖かい熱帯ボリビアでも0度近くにまで下がり、死者が出ている。7月中旬から南米を襲った寒波で、少なくとも200人が死亡するなどの被害が報告されている。

科学者による「原因捜し」

中国やパキスタンの豪雨、水害の原因を、学者たちの中にはこう解説する者もいる。「地球温暖化のため空気の対流が旺盛になり、豪雨を誘発している。また急激な都市化によって、雨が地中に吸い込まれず、大気中の水蒸気が増加していることも豪雨の原因だ」。
さらにロシアの猛暑や日照りについて、専門家はこう分析する。「大西洋北東部で高気圧が異常に発達したため、ロシアを猛暑が襲ったのだ」。

いっぽう南米を襲った寒波の理由は、このように解説されている。「ジェット気流の影響で低気圧が北上し、南極の冷たい空気が流れ込んだこため、極端な寒波が南米大陸を襲撃した」――。

以上の解説を読んで納得された方がいたとしたら、よほどの天才か、または大間抜けだろう。「大西洋北東部で高気圧が異常に発達したから、ロシアが猛暑に見舞われた」というのは理解はできる。しかし、なぜ大西洋北東部に高気圧の異常発達が起きたのか。同じように南半球では、なぜジェット気流の影響で低気圧が北上したのか。ほんとうの原因にはたどり着いていないのではないか。

しかし科学者による「異常気象の真犯人捜し」は、真犯人を見つけないで他のものを見つけてしまった。これまで異常気象の原因とされた「CO2による地球温暖化」説では、この異常は説明しきれないということだ。

昨秋の気候変動首脳会合で、鳩山首相(当時)が「温室効果ガス削減目標」について、「2020年までに25%削減(1990年比)」と発表したことをご記憶されているだろう。25%削減とすれば一所帯当たりの負担が36万円になるという計算も、鳩山の前の麻生太郎内閣(自公連立)時代に提出されていたが、鳩山はそれを承知でこの目標を掲げたのだ。この結果、エネルギーを多消費する産業は国内生産拠点の縮小、海外移転を余儀なくされ、失業率の増加、経済失速を招いていることはご承知の通り。その根源の「CO2犯人説」が揺らいでいることを、鳩山前首相はどう考えているのだろうか。

真の原因は「偏西風の蛇行」

気象庁はロシアや米国の猛暑を「異常気象」としており、その主原因は、「偏西風の蛇行」にあるとしている。
北半球では通常、偏西風は西から東へ吹くが、現在はそれが南北に波打つように蛇行している。偏西風が北上する東側では高気圧が発達して気温が高くなりやすく、南下する東側では低くなりやすい。

気象庁によると、ロシア西部では6月下旬以降、北上する偏西風の進路がほぼ固定する「ブロッキング現象」が起き、温度が上昇。米北東部では、7月上旬には大きく北に蛇行していた。日本でも7月初めは南下していたが、梅雨明けを境に北に蛇行した影響で、ご存じの通りの暑さが続いている。

偏西風の蛇行が北半球に異常気象をもたらした可能性は高い。偏西風蛇行こそ、猛暑の原因だとする説には納得できる。では次の問題は、なぜ偏西風が蛇行したかである。
偏西風蛇行の原因としては、日付変更線より東側の太平洋海域赤道付近の海面水温の変化(ラニーニャなど)、あるいは北極振動と呼ばれる北半球の気圧変動を初めとする、いくつかの原因が考えられるようだが、今年の蛇行の原因を特定することは困難だという。

いろいろ書いたが、つまり一言で言えば、今年の異常気象の真因は「わからない」のだ。わかったことは、これまで異常気象や地球温暖化の犯人呼ばわりされていた「CO2」は、真っ白ではないものの、直接の下手人ではなくなってしまった。

「気象兵器」という恐~い話

嘘かホントかわからない「怪情報」の中に、「異常気象の真因は気象兵器HAARPによるものだ」というのがある。「HAARP(ハープ)」とは、“High Frequency Active Auroral Research Program”(高周波活性オーロラ調査プログラム)の略。

「ハープという気象兵器が…」と口にすると、友達を失うという話があるらしい。ハープは、米国の軍と科学者が一体となって研究を進めている、純粋な科学領域「高層圏大気状況研究プロジェクト」であり、これを気象兵器などと考えるのは、よほど程度の低い陰謀論者か、あらゆる厄災を「科学の責任」になすりつける似非自然愛好家だというのだ。しかしそもそも、その「HAARPハープ」なるものがどんなものなのか知らない限り、話題にもできない。

ハープとはこう説明されている。「大出力の高周波を電離層に照射して活性化させ、電離層の挙動や無線通信等への影響を調査することが目的」(ウィキペディアより)。あるいはまた「石油や天然ガス、レアメタルなどの地下資源を探ったり、活断層の調査で地震予知を行うための研究装置」といった解説にも行きあたるが、正直なところ、その全体像はさっぱりわからない。

そこで本紙は「HAARP情報」に詳しい2人から概要を取材した。(そのうちの1人は国家の某組織に所属する現役40代、もう1人は私学教授50代。両者とも匿名が条件だったので、残念ながら名前を記すことはできない。)以下がその内容である。

モスクワ・シグナルから始まった

事件の発端は1955年のモスクワ・シグナル事件だった。市販されている本や、ネット上でも、モスクワ・シグナル事件を探ることができる。だがそこに書かれている多くは、1976年に起きた事件の話で、それは駐モスクワ米大使館に勤務していた2人の外交官が、向かいのビルから照射された電子監視装置の放射線を浴び、ガンを発症させた事件と解説されている。モスクワ・シグナルに関しては、その他、1950年代の事件が説明される場合も、原因不明の熱や吐き気、頭痛などと表現される。だが正確に表現すれば、モスクワ・シグナル事件とは1955年に起きた「幻聴事件」が最初だった。その後もさまざまな事件が続き、1976年の外交官ガン発症事件にたどり着く。

モスクワの米大使館は、1955年の事件勃発と同時に、その原因が向かいのビルから照射されるマイクロ波にあることを掴んでいた。ソ連がなぜ米大使館に向かってマイクロ波を照射していたのか。それは米大使館が所有する盗聴装置を混乱させることが目的だったとされるが、真相は当然ながら不明だ。

マイクロ波の照射により幻聴が起きた――。当然ながらこの事実は米軍に報告された。すでに第二次大戦中からマイクロ波を使った電磁波兵器という発想は存在していたが、実現はしていなかった。

余談になるが、マイクロ波といえばすぐ頭に浮かぶのは、電子レンジだろう。電子レンジは世界最大のミサイル・メーカーであるレイセオン社の技師が発明し、戦後の1946年に特許を取得している。純粋な調理器具であるのに、巨大軍需メーカーから生まれた製品であるため、「殺人光線の技術が調理器になった」といわれることもある。

その後米軍では、マイクロ波を使ったさまざまな研究が行われた。幻聴についても、砂漠の真ん中で声を聞かせる実験や、雑踏の大都会でターゲットとなる1人にだけ音声を聞かせる実験などを繰り返したとされる。人影のない場所で声を聞いたり、人ごみの中で自分にだけ語りかける存在を体験した人間は、それを神と思ったり、宇宙人のメッセージと感じたかもしれない。
幻聴実験だけではない。マイクロ波の波長、出力、干渉等に関して、膨大な研究が進められたことは想像に難くない。また米軍は、戦時中の1943年に亡くなったニコラ・テスラの研究資料を引き継ぎ、超兵器の研究を行っていた実績もあり、これが合体された可能性もあるだろう。

ちなみにニコラ・テスラとはハンガリー生まれのセルビア人で、オーストリア、フランスを経由して米国に渡り、エジソン電灯で働いていたこともある科学者。1915年にはノーベル物理学賞受賞候補となるが、辞退。1917年にはエジソン勲章も辞退。電磁波を用いた全世界通信システムを研究し、これを「地球システム」と呼んだ。

42歳のころ、ニューヨークで報道関係者を集め、マイクロ波照射で2トンの鉄球を粉々に砕くという実験に成功。テスラ自身は「地球を割ることなど簡単にできる」と豪語していたらしい。その後はマイクロ波を使った「地震発生装置(地震兵器)」の研究を進めていた。またまた余談になるが、オウム真理教の科学大臣・村井秀夫は、自分はニコラ・テスラの生まれ変わりだと信じていたと伝えられる。村井を初めとするオウムの一団はテスラ博物館で地震兵器の設計図閲覧を希望したが、許可が下りなかったようだ。

さて、それではHAARPハープは気象兵器なのか? あるいは地震まで起こすことができる超兵器なのか? どう探っても答えは出ない。限りなく怪しいことは事実だが、それが兵器として運用されているかどうかは、恐らく当事者以外には理解できないようになっているのだろう。

ちなみに、今年3月に黄海で沈没した韓国哨戒艦も、ハープ兵器によるものだと解説する者もいる。またメキシコ湾のBP社原油流出事故(4月20日)もハープだそうだ。ホルムズ海峡で爆発事件が起きた商船三井のタンカーも、アルカイダが犯行声明を出していても「米軍ハープの攻撃」だと解説する方がいるらしい。怪事件の真相がバレそうになったとき、あれもこれも…と滅茶苦茶に流出、漏洩が起こり、肝心の話が見えなくなることがある。負け戦は戦線を拡大せよというが、ハープを操っている連中は、もしかしたら負け戦を戦っているのかもしれない。

電離層が遠ざかった

宇宙から地球を見た毛利衛さんも野口聡一さんも、いや、ひと度地球を離れ、宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士たちは、誰もが地球の美しさに圧倒されている。それは漆喰の宇宙空間の中で、あらゆる存在と比べても桁違いに美しいのだそうだ。
その美しい地球を守るかのように、大気が取り囲んでいる。この大気の層ももちろん地球そのものである。大気の層の上部では、太陽光線や宇宙線などにより、分子や原子が電離した状態になっている。これが電離層だ。この電離層には、絶えず宇宙から宇宙線が降り注ぎ、昼間には太陽光線も加わり、電離層がなくなることはない。

電離層の厚さは全体で500~700キロ。層はD層、E層、F層に分けられ、F層はF1層、F2層に分けられる。D層は地表にいちばん近く、60~90キロほどのところにあるが、夜になると太陽光線が来なくなり、D層は自動的に消滅する。同様に、F1層とF2層も、夜には合体して1つのF層を形成する。

電離層のそれぞれの層は、長波、中波、短波をはね返し、地上に戻す。超短波(VHF)。極超短波(UHF)は電離層を突き抜ける。だから超短波、極超短波は反射を利用して電波を遠くに飛ばすという役目には向かない。電離層はさまざまな電波の反射、吸収、入射に重要な意味を持つ。それだけではなく、太陽や月が地球に与える諸々の影響に対して調整、調節を行っている面もある。潮の干満、潮位、太陽フレア(太陽大気の爆発現象)等による通信障害(デリンジャー現象)は、すべて地球への直接衝撃を電離層が吸収消化したと考えてよい。

「HAARP(ハープ)」が気象兵器なのか、あるいは純粋な研究観測装置なのかは別として、HAARPの本格作動以来、電離層が上がっていることが確認されている。とくに上層のF層は、かつて150km~800kmに位置していたが、それが200km~960kmまで上昇してしまった。一説によると、さらに上に上がっているともいわれる。HAARPによって電離層が押し上げられてしまったのだ。異常気象の原因は、これで説明がつく。

HAARPが気象兵器か気象観測装置なのかは、もはや問題ではない。HAARPが電離層の状態を変え、それが“美しい地球”を乱していることは間違いない。
驕れる人類が作った科学装置が地球を壊し始め、壊されかかったことを自覚した地球が、人類に報復を開始した――。今年の異常気象の原因は、このように分析できるのかもしれない。■






今こそ真実を追求せよ!
情報機関が探らない「北朝鮮の英雄」金策の正体!!


美しい古都サンクトペテルスブルグに秘められた過去

「北のヴェネツィア」とも称されるロシア連邦の古都サンクトペテルスブルグ(Санкт-Петербург)をご存じだろうか。運河を湛えた歴史のある町で、一部は世界遺産にも指定されている(1990年認定)。そのなかには、有名なエルミタージュ美術館や冬宮殿、エカテリーナ宮殿、そしてアレクサンドル・ネフスキー修道院など、北欧の人々には馴染みのある建物が並んでいる。ロシアを代表するプーシキン、ゴーゴリ、ドストエフスキーといった文学者たちが好んで素材にし、舞台として扱った町でもある。

この町はロマノフ王朝5代目のピョートル大帝(1671~1725年)の命によって建設されたもので、その名は「聖ペテロの町」という意味。ピョートルのフィンランド語読みはペテロで、隣国の有名な高僧ペテロと自分の名を記念する意味で名付けられた町である。

ところがこの町は1924年から1990年までの66年間は違う名を付けていた。レニングラードである。中年世代の人々にとっては、レニングラードという名のほうが記憶されているはずだ。

レーニン(ウラジミール・レーニン 1870~1924年)とは人類史上初めて社会主義革命を成功させた人物である。

レーニンは貴族の父とドイツ系ユダヤ人の母との間に生まれた秀才で、難関とされる国家検定試験を最高の成績で一発クリア。だが後にマルクス主義に傾倒し社会主義運動家となり、逮捕投獄、弾圧、国外追放という運命を辿る。1917年、ロシアのロマノフ王朝を打倒する2月革命が起きたところでレーニンは帰国。この間に日本の明石元二郎がレーニンを初めとする社会主義運動家たちに潤沢な資金を送り続けたことも知られている。

レーニンはその後、赤軍を率いてサンクトペテルスブルグを掌握。欧州列強による干渉戦、シベリア出兵、内戦など激戦にことごとく勝利し、ついに1922年、ソビエト社会主義共和国連邦誕生に導いた。

レーニンは1924年1月に他界したが、彼の偉業を讃えてサンクトペテルスブルグは「レニングラード(レーニンの町)」と改名したのである。

旧ソ連邦にはレニングラード同様、社会主義革命の偉人名を冠した町がもう一つ存在した。現在ヴォルゴグラード(ヴォルガ川の町)と呼ばれる都市スターリングラードである。

スターリン(ヨシフ・スターリン 1879~1953年)とはペンネームであり、本名はヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・シュガシヴィリという。スターリン(Сталин)とはロシア語で「アイアンマン=鋼鉄の人」という意味だ。

スターリンはグルジアの貧しい靴屋の家に生まれた。幼い頃には隣人のユダヤ人から小遣いをもらって本を買い漁り、学生時代には早くも反政府・マルクス主義活動家として活躍を始める。資金調達術には優れていたとされるが、それは現金強奪という荒っぽい手法で稼いだものだった。そのため逮捕、シベリア追放などを食らうが、1917年にレーニンが帰国したところで赤軍に加入。しかし実のところ、対ポーランド戦でスターリンが指揮した部隊は惨敗するなど、戦歴には見るべきものがない。

それでも1922年には共産党中央委員会書記長に就任。レーニンはこの時代からスターリンの悪魔的素質を見抜いて彼の批判を開始し、罷免を要求している。だが1924年1月にレーニンが死去するや、スターリンは「一国社会主義」を主張。政治的、思想的に反対する者たちを陰険な手法で逮捕、追放、暗殺していった。スターリンによる大粛清で死んだ者は2000万人に及ぶとされる(1997年のロシア政府の公式発表では1260万人となっている)。

ロシア南部にあったスターリングラードという町は、古くから要衝として栄えた町だった。16世紀にはタタールの攻撃に備えて要塞が作られ、「女帝の町」という意味の「ツァリーツィン」という名が付けられた。「この名は帝国時代を彷彿させる悪名」ということで1925年にスターリングラード(スターリンの町)と改名されたのだが、社会主義革命の英雄レーニンに対抗して、何とか自分の名を残そうとしたスターリンの意地と思惑が感じられる。

スターリンの死後、フルシチョフにより「スターリン批判」が展開され、1961年にスターリングラードは現在の「ヴォルゴグラード」という名に改名している。
レニングラードとスターリングラード。旧ソ連邦に存在した2つの町。レーニンもスターリンも、ともに社会主義国ソ連邦の誕生から創成期の偉人であり巨人だった。その二人の名を冠した二つの町――。
この二人を分析することこそ、ソ連邦という国家を知ることに繋がった。ソ連邦にとってこの二人は特別な意味を持ち、その特別な意味があるからこそ町の冠名となり、そして消されていった名でもあった。

北朝鮮建国の英雄 金日成と金策

ソ連と同じ社会主義国家で英雄の名を冠する施設を持つ国がある。北朝鮮である。冠された名は「金日成総合大学」と「金策工科総合大学」。しかも金策のほうは市の名前にもなっている。

金日成についてはいまさら改めて語るまでもないと思うが、北朝鮮建国の歴史を振り返る意味でここに記しておく。

大東亜戦争の末期、昭和20年(1945年)8月8日、ソ連は「日ソ中立条約の破棄」を宣告、翌8月9日、越境して旧満洲、北朝鮮に攻め込んだ。朝鮮半島北部にソ連の傀儡国家である社会主義国家を建国することはスターリンの意思であり、その意思に従って建国に関わったのが朝鮮共産党北部朝鮮分局だった。この朝鮮共産党北部朝鮮分局から発展した組織は「北朝鮮臨時人民委員会」と名乗り、その委員長が金日成だった。

金日成は昭和20年(1945年)9月19日にソ連から船で北朝鮮の元山に入り、平壌に辿り着いた。民族の英雄・金日成をひと目見ようと集まった群集たちは、ソ連の軍人に護られて現れた33歳の若者を見て「偽者だ!」と叫んだという。

朝鮮半島に実在し、抗日戦線の英雄と崇められていた金日成将軍という人物がいた。この将軍が活躍したのは1920年代のことで、そのときすでに将軍は老人だった。集まった群衆たちは、この老将軍が現れるとは思っていなかっただろう。だが、この将軍とは別に、やはり抗日パルチザンの英雄・金日成という人物もいた。その男は抗日パルチザン組織「東北抗日聯軍第六師長」という肩書きを持ち、半島に展開する日本軍に夜襲をかけて有名になった人物。このため日本軍は第六師長・金日成に懸賞金を懸けたほどだった。だが、ソ連兵に護られて群集の前に姿を見せたのは、どう考えても第六師長・金日成とは別人に見えたのだ。

ソ連の後ろ盾を得て北朝鮮のトップに君臨した青年の本名は金成柱だとされている。その金成柱が金一星、金日成と名を変えたというのが一般的に流布されている説だ。当時、抗日運動家たちが名前を変えることは当然でもあった。金成柱が金日成と改名したことは事実なのかもしれないが、彼が抗日戦線の英雄だったことは、恐らく作り話だろう。

それはともかく、スターリンという巨大な盾に護られていたものの、金日成は抗日パルチザン――北朝鮮では少数派の「満洲派」の人間だった。多数派はスターリン直下の「ソ連派」と呼ばれる勢力で、その多くはソ連国籍の朝鮮人だった。そうしたなか1950年に朝鮮戦争が勃発。中国から林彪率いる第八野戦軍の大部隊が戦闘の前面に立つ。朝鮮戦争後の労働力不足、経済危機、そして中国とソ連との対立という状況の下、金日成は窮地に追い込まれる。

その後の金日成の政治戦略手法には目を見張るものがあった。まず満洲派とソ連派が結託して、その他の共産主義勢力を壊滅に追いやる。その後にソ連派と対抗するために北朝鮮独自路線を樹立し、それを強力に推し進めて行ったのだ。このとき金日成最大のブレーンとなったのが金策(キムチェク)という人物だった。

金策は1902年(明治35年)に北朝鮮の咸鏡北道・城津市で生まれた。1936~37年(昭和11~12年)頃には満洲の抗日連合第3軍のゲリラ軍の中核にいたとも記録されている。朝鮮戦争、その後の北朝鮮国内での苛烈な抗争の間、金日成を支え続け、金日成独裁体制を築いた最大の功労者である。そうした争闘のなか、1951年(昭和26年、異説もある)に金策は怪死してしまったのだ。

ソ連派、満洲派、その他にも南朝鮮労働党派、延安派等々、派閥軍閥が跋扈する混乱の北朝鮮で、金策が採ったのは金日成=北朝鮮独自路線だった。

朝鮮民族は歴史の流れの果てに、国家や民族よりも宗族、同族を大切にするという独特の族譜を持つようになっていた。これを「本貫図」という。国家より一族郎党を大切に扱うという姿勢だ。これが当然ながら出生差別にも繋がっていた。金策はこの本貫図を強制的に取り上げ、廃棄し、新たな民族構成図を作成した。その原点となるのは朝鮮民族の誕生神話「檀君神話」である。

本貫図を廃して、「檀君神話」を引き継ぐ「金日成一族神話」を作り上げることにより、いわば戦前の日本における天皇体制を半島の民に授けたと言っても過言ではない。金日成北朝鮮独自の理論とされる「主体(チュチェ)思想」とは、「思想における主体、政治における主体、経済における自立、国防における自衛」と表現される。この理論を最終的に構築した黄長燁元朝鮮労働党書記は、その基礎理論に「天皇機関説」や旧ドイツの「国家有機体説」を採り入れたことを明らかにしているが、金策が提言した北朝鮮建国神話も含め、戦前の日本の影響があったことは誰の目にも明らかだ。

金日成独裁体制を構築した最大の功労者という意味を籠めて、金策の名は「金策工業総合大学」に記念され、そして彼の出生地である城津市は1953年に金策市という名に改名されている。

建国の英雄・金日成以上に巨大な扱いをされている金策について、世界の、そして日本の情報機関は何も調べていない。しかもこの名は、いまなお重大な局面で姿を表しているのだ。

何を語る?「金策」の名前

金策は1951年(昭和26年)に死亡している。その死は、朝鮮戦争による爆死とも事故による怪死とも変死とも伝えられているが、真実は不明だ。その名前は「金策工業総合大学」「金策市」「金策製鉄所」などに残り、顕彰されている。だがそれだけではない。きわめて重大な局面にフッとその名が出現するのだ。

平成14年(2002年)夏――。小泉純一郎首相(当時)の訪朝が決まり日本中が仰天した直後の8月30日から、能登半島沖の日本海に不審船が出現した。海上保安庁の巡視船が直ちに現場に急行したところ、4隻の不審船はUターン。船尾を見せて北朝鮮海域へと逃げて行った。このときの不審船(小型漁船に擬した快速艇)の船尾には、どの船にも「金策」という文字が書かれていた。

――それは単に、「金策市の漁港に籍を置く漁船という意味ではないのか……。そう考える見方もあるだろう。確かにそうかもしれない。だが、小泉純一郎が平壌に行くと発表した直後に現れた不審船が、その船尾に何らかのメッセージを示したものだとは考えられないだろうか。

金策の名は1994年(平成6年)にも一瞬だけ登場したことがある。金日成の死去に伴い金正日が国家主席として登場してきたときのことだ。北朝鮮政府の序列第17番目に「金策」の文字が存在した。工業大学の名に冠せられた金策は40年以上も前に死んでいるのだから、常識で考えればこれは別人。だが、二度と出現してこなかった「序列第17番目の金策」とは、金正日体制を保全するために意図的に書かれた、いわば「お守り」「護符」にあたる架空の人間だったのかもしれない。ちなみに北朝鮮では「17」は神聖な数字の一つだという説もある。その理由は皆目見当がつかないが……。

まったく余談になって恐縮だが、日本では「16」という数字が神聖視される場合が多い。天皇家の菊の御紋章も十六花弁である。なぜ16なのか? 古事記・日本書紀によると、天地開闢のときには「天之御中主命」から始まる5代の神々が成り、続いて「国之常立神」に始まる神代七代に続くが、その最後の神がイザナギ、イザナミである。この二人の神は最初の「天之御中主命」から数えて16番目。日本の始まりはこの二神なのだから16は神聖なのだというわけだ。「十六夜」を「いざよい」と読むのは、イザナギ、イザナミを示す古語「16=いざ」から来ている。では「17」は? 檀君神話の主がスサノオ命を示すところから来ていると考えるのは妄想だろうか……。

余談はさておき本題に戻ろう。大学や市にその名を残す北朝鮮の歴史的英雄・金策について、わが国情報機関はどれほど把握しているのだろうか? 恐らく何も理解していないだろう。わが国だけではない。世界の情報機関も知らないはずだ。だがその名には、重大な秘密が隠されている可能性がある。

もう一度、金策という人物について見直してみよう。金策――キムチェク。1902年(明治35年) 咸鏡北道・城津生まれ。モスクワ共産党大学卒。ソ連内務省に入り、満洲で抗日戦線を背後から支援したソ連軍中佐。金日成を支援し続け、1951年に謎の死を遂げた。その功績が讃えられて出生地は金策市と改名され、工科大や製鉄所にも名を冠せられている。

以後、一般に語られる金策像だが、噂では彼は黒龍会のメンバーだったとされる。黒龍会の指導者といえば内田良平だが、内田は対露工作に全力をあげた民間人。北東アジア安定のために日韓併合を推進した人物でもある。さらに金策には、明石機関の援助を受けていたのではないかとの情報もある。明石機関とは、日露戦争の折に欧州で暗躍した明石元二郎が作った特務機関。明石は日露戦争で日本が勝利した影の功労者で、スペインに亡命していたレーニンの尻を蹴飛ばしてロシア革命を扇動、ロシアの力を内部から削ぐことに成功した人物だ。

いや、もっと怖い噂話も存在している。――法螺、妄想と言われても仕方のない話なのだが、金策の正体は日本人だというものだ。黒龍会会員や明石機関員であったとすれば、日本人が朝鮮人に化けていた可能性はある。もしそうであるなら、北朝鮮の根幹思想の構築に日本人が関わっていたことになる。

さらなる噂もあるのだが、これ以上虚言妄想と思われる話を書き並べても意味がない。
重要なことは、「金策」を徹底的に調べ上げる必要があるということだ。金策の正体、金策の戦略が理解できれば、北朝鮮の正体がより明確に理解できるはずだ。それは必ずや北東アジアの未来に重大な影響を及ぼす。わが国情報機関の真摯な活躍を切に期待したい。■



        



 

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  掲載年月日

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