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川越市市長選・不明瞭さ際だつ「ポスト舟橋市政」 印刷 Eメール
地方行政を読む - 川越市
2009年 1月 29日(木曜日) 00:00
2009年川越市市長選・不明瞭さ際だつ「ポスト舟橋市政」
無責任な政党相乗りで川合善明氏が川越市長当選
舟橋政権「オール与党」構造といったい何が違うのか?
自民、民主、公明、社民の思惑、政党のイデオロギーなし

 さる1月25日に投開票された川越市長選挙――。前市長の故・川合喜一氏の次男で弁護士の川合善明氏(58)(新人・無所属=自民・民主・公明推薦、社民支持)が、舟橋功一市長の後継指名を受けた前副市長・細田照文氏(68)(新人・無所属)を破り、初当選を果たした。当日有権者数は269,490人、投票率は36.51%であった。

 川合氏は早大、東京教育大卒。東京で弁護士事務所を開業し、筑波大学法科大学院客員教授をもつとめている。これまでに川越青年会議所財務室長、東京弁護士会副会長を歴任した経験がある。

「抽象的改革案」を唱える素人が
「精緻な改革案」を示したベテランを倒した!

 選挙の結果はすでに大手マスメディアが報じている。川越に地盤を据える本紙としては、地元政治を見つめてきた経験則から、大手紙が書き得ない分析あるいは踏み込めない真相を読者に伝えねばならないと信じる。だが、今回の選挙戦結果を見て、本紙ははたと考え込んでしまった。当選者である川合新市長は舟橋政権の流れの改革を主張。「変えよう川越」をスローガンに市政の刷新を訴えてきた。その意やよし。では、具体的に何をどう変え、どのような効果が見込めるのか……。選挙戦における彼の公約・マニフェストはあまりに抽象的。「見えてくるもの」が何もない。はっきり言えば、有権者の心に響くものが何もなかったのだ。

 選挙に先立つ1月10日、川越青年会議所が主催した川越市長選立候補表明者の公開討論会が行われた。各候補者のマニフェスト、また市民の提案で作られた「逆マニフェスト」の両方を交えつつ、立候補表明者がパネリストとして討論するというこの公開討論会は、埼玉県では初めての試みで、全国でもまだ数が少ないのだという。

 会場は満席。必ずしも緊張感に満ちた雰囲気ではなかったが、参加者の多くが関心を示したのは「行財政改革」に関する討論であり、川越市の財政状況に対する改革に市民の関心が強いことを示していた。

 両候補のマニフェストの詳細については割愛するが、いま改めて両候補から出されたローカルマニフェストを読み、また討論会の会場で見た「行財政改革」に対する市民の関心の高さを思い浮かべると、今回の選挙の経緯および開票結果に、どうしても腑に落ちない部分があるのは否めない。

 川合候補のマニフェスト、あまりに抽象的なのである。唯一「市長の報酬・退職金のカット」項目で「20%」という数値目標を挙げている以外、どの欄を見ても(改革で達成すべき)数値目標がゼロ。期限も「すみやかに」あるいは「直ちに」としか説明されていない。これでは川越市政に関心のある高校生でも書けそうな内容だ。「行政経験がない」とはこの日、川合候補自らが説明していたとおりだ。しかし自分の政策・主張を市民に「どう説得力を持たせるか」を、あまりにもおざなりにした内容でしかなかった。

 対する細田候補のマニフェスト、改革案には川合候補と重複するところもあるが、決定的に違うのは数値目標と期限、事業費の具体的金額と財源を明確に記しているところである。各改革項目の具体的手段にも、ベテラン行政マンの手法というべきものが、川合候補より断然、際だっている。

 やみくもに「改革を」と唱える側と、行政マンとして舟橋政権の功罪を冷静に分析したうえで、変えるべきところは変えると主張する側の、説得力の差が歴然としていたのだ。

 早い話、素人がベテランを倒したのである。「改革の熱気」という点から見れば、オバマ大統領誕生のケースと似ていなくもない。だがオバマ氏にはたとえ短くとも1期の上院議員経験がある。川合氏はまったくの素人。「父親が元川越市長」でなければ、誰も知らないはずの候補者だったのだ。


わかりにくい争点
自公民から社民までが付和雷同とは
舟橋政権「オール与党」構造と何が違うのか?

 今回の選挙で驚いたのは、「行政の素人」川合候補を自民、公明、民主が推薦し、さらには社民党川越総支部が支持したことである。川越市議39人中24人も川合支援に回ったことも、別の驚きを喚起したのだが……。

 自民党と社民党とは、理念でも政策の上でも、いわば不倶戴天の敵ではなかったのか。同じ候補を支持するというのは、いったいどういうことなのだ?これではまるで「オール与党」状態だった舟橋前市長時代と同じだ。今回の市長選とは、「王様を取り替える」だけの、易姓革命川越ヴァージョンだったのか?

 換言すれば、細田氏とは左右両陣営からも見捨てられる「嫌われ者」だったのだろうか。そう考えるのは無理であろう。前副市長とはいえ、市長とは異なり露出度も高くはない。一般市民にとってはどちらかといえば「知られざる人」だったはずだ。

 ならばやはり、自公民から社民までの付和雷同という異常現象が意味するものを、われわれ市民は読み取っていかなければならない。

 そもそも今回の市長選挙は、投票率が36.51%で前回の32.10%を上回ったものの、市民の関心を引き付けず低調なものとなった。有権者総数269,490人中、わずか98,389人しか投票しなかった。つまり、171,101人が棄権するという民主的な選挙にとっては、はなはだ不正常な事態なのだ。

 なぜ、こんなことになってしまったのか?やはり市長選挙の争点が不明瞭で市民にとってあまりにわかりづらかったことが挙げられるだろう。特に今回、その傾向を強めたのが、国政レベルで対決姿勢を強めている自民党と民主党、公明党の、川合候補への“呉越同舟”の如き相乗りであったといっても過言ではないだろう。

 過去、長期にわたって舟橋市政を与党として支えてきた自民、公明とも、選挙戦間際になっていきなり舟橋前政権を「ゆきあたりばったり」「市政を停滞と混乱に陥れた」と口を極めて批判しはじめたのだ。国会の場ではしばしば審議拒否戦術で与党に抵抗する民主党の代議士が、川合陣営最終盤の決起集会(1月23日夜・川越プリンスホテル)では、自民党代議士や公明党県議会議員とともに「推薦候補必勝」を訴え「勝利への団結」を参加者に呼びかけるさまは、不自然そのものであった。

 こうした現象を川越市政に詳しい元政党幹部は、こう述べる。

「前回に舟橋市長を応援した自民・公明が、その『後継者である細田さん』に対抗する川合さんの支援に回りましたね。これに民主や社民までが相乗りした結果、現在、与野党に分かれて国政の場で対決を深めている各党が同じ市長候補でまとまるという、有権者には誠にわかりにくい構図となりました。これじゃ、『馴れ合い』と思われても仕方ないですね。いくら市長候補が立派な政策を掲げても、これだけ色合いもスタンスも違う政党が『ひもつき』になるのでは、公約も画餅に過ぎないといえなくもありませんし……」

 確かに、これでは当選したといって、「市民の圧倒的支持を得て」ということにならないのが当然だ。相手候補に2万の得票差をつけたといっても、川合市長を信任した有権者は全体の5人弱に1人しかならないのだ。

 元政党幹部はさらに続ける。

「結局、川合さんを推薦した各政党の頭の中は、来るべき総選挙しかないんですよ。今度は、川合さんが『改革・刷新』なんて唱えたものですから、そのイメージに乗っかる方が得策ということです。実際、政党議員の推薦演説を聞いても、川合候補の政策のうち具体的にどの部分について共感しているのか、推薦政党としてどのようにその実現について取り組むのか、をまったく話していませんね。公明党なんか、自分が舟橋政権を支えてきたくせに『川越市は、舟橋ファミリーのものじゃない!』なんて、トンチンカンな批判をしている始末です。なぜ今頃になってそんなことを言い出すのか」

 川合陣営が配布したチラシには、明らかにバラク・オバマ大統領を模したと思われる“change”という言葉が踊る。しかし、いったい何を“change”するのか。言い換えれば、舟橋長期政権を支えてきた自民も公明も民主も、なぜ市議会で一度も“change”を叫ばなかったのだ?本紙が何度、舟橋前市長に対する批判キャンペーンを張っても、ほとんどの市議は市長が恐いのか、見て見ぬふりだったではないか。何が「川越市は、舟橋ファミリーのものじゃない!」だ。そもそも前市長一族を「舟橋ファミリー」と呼んだのは本紙が初めてだ。公明党議員は、何をいまさら本紙の真似をしているのだ?

「歴史に“IF”(イフ)を持ち出すことには意味がない」というのは、弁証法的唯物史観に凝り固まった愚か者の主張だ。イフで考えるからこそ、過去の事件・事例は未来の時間軸に何度も、生き生きとその意味を投じ、立ち現れてくる。選挙公示前、もし細田氏が急遽、出馬をとりやめていたら……。この選挙、どうなっていただろう。オバマ熱気に煽られたかのような「改革」ムードだけがむんむんとするなかで、自民から社民までの推薦・支持を取り付け、39人中24人の市議が支援する、何を改革するのかよくわからない「弁護士」の無投票当選となったかもしれない。それは、弁護士市長・舟橋功一氏の長期政権の節々にあった、名ばかりの「選挙」というイベントと何ら変わらない。舟橋前市長は、2~3選目は無投票当選だった。どのような選挙であれ、必ず対抗馬を擁立するはずの共産党までが、舟橋前市長を無条件で受け入れてきた。

 川合氏個人が、行政の素人ながらも「変革」の重要性を信じ、主張したのであるならそれでいい。だが彼を推した「政党」の姿勢や意志など、何も変わってはいない。首長の「交代」はいい。だが市政の「変革」など、どの政党も心の底では望んでいないのだ。だからこその、このあきれるばかりの付和雷同ぶり、相乗りぶりに結びつく。川越市民を最も愚弄し私物化しているのは、これら政党そのものではないのか。そこには理念の相違も、イデオロギーの差異も何もない、各々の利権をただ汲々として守るだけの、政治屋の集団がいるだけだ。

 川越市長選挙の結果を報じた読売新聞1月26日付記事には、次のような重要な指摘が載せられている。この指摘は、今回の川越市長選を振り返るにあたって、まさに正鵠を射たものであるといえよう。

「16年ぶりに新市長となった川合氏は『変革』や『公正』を訴えたものの、結果的には政党頼りの旧態依然の選挙を行い、多くのしがらみを抱え込んだ」……。


 「細田氏は舟橋政権の後継者」をことさら強調し勝利した
川合陣営のネガティブキャンペーン
少なくとも細田陣営は、公明正大に戦いを挑んだ

 川合氏は川越市議39名中、24名の支援を取り付けた。本紙はこの24名それぞれに対しても、「川合候補の公約のうち、具体的に何に共感し、その実現のためにどのような支援をするつもりなのか」を問いただしたい。わずかな例外を除いて、誰一人まともに答えることさえできないだろう。

 市議として、首長の政策の何を支援し、何を批判すべきか。批判するなら代案としてどのようなものを提示できるか。市民の代表として、この程度の意識など常に持ち合わせていて当然だ。だが、中核市川越市の市議会議員のほとんどは、残念ながらそのレベルでさえない。

「地方の市会議員なんてそんなものだ」という声さえ聞かれる。過去も、現在も、未来も、眠れる市議は眠ったまま、票集めと半径5メートル程度のことしか考えていないのだから、彼らに期待する方が無理だ、という嘆息めいた言葉なのだろう。だが、それを当然と見なしてはいけない。「変革」とは、そこから始まるのだ。

 こう断言すると、反感を持つ市議もいるだろう(いや、反感を持っていただけるだけマシだとも思うが)。だが過去、舟橋市政と正面から対決してきた議員がどれほどいたのか?それは本紙インターネット版の過去の記事を紐解いていただけば、すぐにおわかりいただけるはずだ。率直にいって、市長選挙で過去、自分たちが事実上支えてきた舟橋市政を、いまさら批判する資格のある市議会議員など1、2の例外を除いて皆無だと断言できる。川合陣営支持にまわったほとんどの市議が、素人であろうと「変革」を唱える側にまわることで、政治的な一種の免罪符を得ようとしたのではないか。

 まして「変革」を支持した市議のなかには、本紙から「金権腐敗議員」と指弾され、まったく反論のできなかった神田寿雄議員もいる。あろうことか刑事犯罪者(刑期中)を顧問相談役・秘書に任命し、その「犯罪者」と選挙中にもかかわらず、細田候補を推薦する前市長への悪口雑言をならべた怪文書を各所にポスティングするという、大胆不敵な違法行為に走った渋谷実埼玉県議会議員もいる。細田候補を「舟橋政権の後継者」とことさら強調した以上の、悪質なネガティブキャンペーンさえ行われていたというのだから、川合候補にとっては、まことに不名誉である。不見識、恥なき者までが川合候補の推薦者に名を連ねているのだから、呆れるしかない。

 ここで、選挙戦を戦ったもう一人の人物、細田照文氏について触れておこう。細田氏の選挙対応は、ルールに則ったものであった。少なくとも、川合陣営に対するネガティブキャンペーンは張らなかった、と言っても過言ではない。彼は自身の信じた道を歩み、そして負けた。

 細田氏の奥方の病は深く重い。病床で細田氏の立候補への思いを聞いた奥方は「あなたは十二分過ぎるほど私の看護を果たしてくれました。どうぞ、あなたの思いを成し遂げて下さい。頑張って下さい」と細田氏を励ましたと聞く。

 舟橋市長による「後継者発言」があまりにクローズアップされ、また対抗陣営がこの発言をことさら強調したため、細田氏自身の個性と行政に向けた思いが、この発言によって蔽遮された感は否めない。だが細田氏本来の視野とは、実に角度の広いものである。細田氏は厳しさを宿した眼で、わが国の農業、農政を心から憂う。そこには、現状の農政の継続が日本の国家の存立を危ういものにする、という強烈な危機意識が存している。氏は、食糧の自給率の低下に対する危機感、農業就労人口の衰退に関して、現政権政党政治の無策に対する厳しい批判と、解決に向けての強い意欲と方策を持している。

 日本の未来における、農業をベースにした多角的経済の発展、「食糧の自立なくして国家の自立なし」という細田氏の論旨に本紙は共鳴し、これまで折あれば勉強させて戴いたことを、紙面を借りて改めて感謝の意を表したい。

 細田氏が獲得した「38,667票」は、川合氏の「58,370票」に大きく水をあけられた。だが政党の支援なき中で、政治的思惑票の多少は混ざったとしても、その多くは細田氏の人柄のあたたかさ、日本の農業に向けた関心の度合の深さと実績に対する、農家の人びとの心からなる期待が込められた票数であった。

 舟橋市長の助役に乞われた彼は、常時、胸のポケットに辞表を携えて職務に当たっていた。今後、川合市長ブレーンによる低俗なレッテル貼り、かつて「何々派であった」などの魔女狩り的な姑息な行為はないと信じたいが、あるとすれば許せないし、本紙は許さない。

「38,667票」とは、そうした庶民の一人一人が、細田氏個人に投じた大切な一票であったことを、細田氏には胸を張っていただきたいし、日本のために今後の活躍を衷心より祈念したい。ご苦労様でした。

 そして細田候補を「舟橋政権のエピゴーネン」呼ばわりした「行政の素人改革者」よ。まずはお手並み拝見である。ローカルマニフェストの改革案にちりばめた「直ちに」「すみやかに」という具体性のない言葉に対し、こんどは事業費・財源・期限を明確にした、市民に納得のいく施策が要求される立場にいるのだ。もはや「行政は素人ですから」などという言葉は通用しない。しかも貴殿は「改革者」だ。前任者の踏襲などもってのほかだ。

 しがらみを抱え込み、停滞したのが舟橋市政だったというのなら、その責任は市長自身とともに、それを支えた与党である自民党、公明党、それに市議会の「物言わぬ議員」たちにある。ここを市民はよく見極め、厳しい眼で今後の川越市政と市議会を見つめていかなければ、「改革」どころか、もとの木阿弥でしかない。■